74 Giro d'Italia

74 Giro d'Italia_ dolomiti

≪4≫Pordoi
■Stelvio
16atappa(第16ステージ)Cima CoppiのPasso dello Stelvio(2758m)。
昨日Mortiroloの近くにめぼしいところが無く、Como湖まで引き返して巨大キャンプ場に泊まった我々は、Stelvioを目指します。幹線道路との合流点で白地に赤丸を描いた丸い手札でPolizziaに歓迎された私は、国際免許証、国内免許証を開示。25,000Lireを現金払いで無事に放免してもらいました。どうもゼブラゾーンを突っ切ったご褒美のようでした。
1994年のスペインでは駐車違反、それもガレージの前に止めるという間抜けぶりで、危うくレッカー移動となるところを間一髪。現金払い。この国ではその場で渡すと割り引いてくれました。 イタリアは割り引き無し!

北イタリアの晴れ渡った空の下、罰金にもめげずひたすらPasso dello Stelvioへ。
車が多くないことに不可思議と感じながらも、あまり気にとめず進みます。
平日にもかかわらず、バラバラとサイクリスト達が同じ方向へ。
「あっ走ってる、走ってる。けど何か少ないなあ。」と車内で話しながらいくつかの町を過ぎました。
そして峠直下。やはり車も自転車も少ない。
こりゃもしかしたら、と車を止めて用足しをしながら話し合っているところへ、車で上がってきたイタリア人か私たちと同類の観戦ツアー中の外国人かに、La Gazzeta dello Sportを見せて貰い納得。
コースが変更になっていました。
麓の町で、La Gazzeta dello Sportを買っとけばよかった。悔やんでも後の祭り。

帰国してから、雪崩の恐れがあるのでコース変更になったと知りました。
雪は確かに、壁のように道路脇にそびえていました。それでも我々は走れるコンディションだと思いました。
私は、1995年Giro d'Italiaでの Cima CoppiのColle dell'Angnello(2748m)で雪崩の現場に遭遇するまでは、コース変更しなくても良かったんじゃないかと思っていました。
Colle dell'Angnelloの雪崩は、私がその地点から下へ降りた数分後に起きました。
1995年になってPasso dello Stelvio(2758m)からのコース変更にやっと納得したのです。2000mを越えるような峠は自分の想像以上の自然のいたずらが為されるんだと、認識を新たにしました。

Passo dello Stelvioまで来ちゃって、新コースに行くのも面倒だし、このまま峠を越えた方が速く次のステージのPasso Pordoiの近くまで行けるし。ということで、雪の壁で雪合戦やら雪だるま作り、名前を彫ったり、と遊び始めました。 雪遊び
雪だるまに鼻つけて、サングラスつけて帽子かぶせ、草鞋も履かせて(何故か持っていたんです)、ビール瓶を脇に置いて、ニックネームも付けて、というふうに遊んでいると、イタリア人の家族連れが車を止め、明るく「ボンジョルノ」、「ジャッポネーゼ?」雪だるまの写真を撮って帰りました。
「んん、さすがやね。イタリア人やねえ」と我々は、何となく納得するのでした。

峠には数軒の土産物屋と、バールがありました。リストランテもあったかもしれません。
そしてFaust Coppiのレリーフか何かが、厚い雪壁の中から掘り起こされて姿を見せていました。

■Passo Pordoi
昨夜泊まったChiusaはPordoiの北西。高速道路が上を走り、下にイタリア国営鉄道が走るというロケーション。向かいには、いにしえの教会或いは城壁が見えます。町の名はChiusaとKlausenの二つの表記。
屋根のテレビアンテナは北の方を向いています。北の方にドイツ語放送局があるのではないかと想像できる、人々の風貌と言葉。
ここTrentino-Alto Adige州はゲルマンとラテンが混ざり合う処。町の建物、標識には2つの言葉が、文字が混ざり合います。
Trentino-Alto Adige州はトレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州とTCIのガイドにあります。古くから、ラテンとゲルマンの勢力がせめぎあった場所の様です。

夜中でも、規則正しく行き交う列車や貨車の独特の音・・・日本のそれよりも更に金属的な音・・・を夢うつつに聞きながら朝。
ちょっと寝不足で霧の中を17aTappaのPasso Pordoiへ、道路脇の車が少しづつ増えます。
やがてPordoiの南Canazeiとの分岐点に。そこでイタリア焼け男所有のプレスパスを見せ、晴れてPordoiへ進入。霧の中、人影がどんどんと増えます。
指定場所に車を止めて、いつの間にか晴れた空の下、数日間の学習成果のスナックと飲み物で腹をなだめつつ、Giro d'Italia御一行を待ちます。

いつもの、Carrera Jeansのオネーチャン達のカブリオレ・キャラバンカーが、何やらばらまきながらクラクションと共に過ぎ去ると、そろそろやってきます。
我々4人はそれぞれ、おもいおもいの場所へ散っていきました。

沿道の観客達は絶好調。気勢を上げ、Vinoの入ったプラスチックコップを高々に、やがて来る絶最高潮に備えます。何たって2日越しで、キャンピングカーでやって来た彼ら彼女ら、仕事をリタイアした人々、同年輩でも現役の人々、人生を選手達と楽しんできた人々、彼らは若者よりも熱狂的に見えます。
大声で選手達を励ますのは、若者に負けていても。
人生を楽しむ達人の彼ら、いいですねえ。うらやましいですね。そんな、いろんな対象があって。楽しむ選択肢が沢山あって。
彼ら、彼女らが、自転車レースを見に大挙して山の上にやって来る事を、文化という領域に入れることが許されるなら。・・・・私は、そういう事こそが文化と確信します。・・・・ 経済的な絶頂、もしくは最先端を走っていた文明の絶頂が過ぎ去っても、その国の文化というものは、不滅となるように思えてきます。たとえ一時忘れ去られても、必ずルネッサンスは訪れることでしょう。(はっはっ、ちょっとおおげさかな)

ここでもSestriereと同様に2回も彼らを、ステージレースのスペシャリスト達を見る事が出来ます。
彼らはPasso Pordoiを降りて、Passo di s.Pellegrino(1918m)への標高差1100m余りをこなしてから、再びCanazeiからの800m近い標高差を上がってくるのです。
このステージではGPM(山岳ポイント)が5ヶ所もあります。おまけに他のステージなら平地に設けられているはずの、INTERGIROのポイントがPasso Pordoiの一度目にあるのです。走行距離は195km。
一つ目のPasso di Pinei(1437m)へは200m程の登りですから彼らにとってはウオーミングアップ程度。
二つ目のPasso Nigra(1688m)は1500m程。三つ目のPasso Pordoi(2239m)へは800m程。四つ目のPasso di s.Pellegrino(1918m)へは先に触れたように1100m。五つ目のGPMでありゴールの Passo Pordoへ800m。一日に延べで標高4400m余りも、彼らは自転車による登山を強いられるのです。何というコース設定!

一度目の様子は覚えていません。全ての集団が過ぎ去った後、フェラーリレッドやらイタリアンブルーにペインティングしたソーラカーの一団が登ってきました。
そして二度目、Maglia rosa(総合1位)のChioccioliが単独で上がってきました。それは鮮明に覚えていますが、前に小集団がいたのかどうかは覚えていません。
いずれにしろ優男は、Maglia rosaの霊験あらたかに、ライバルに付け入る隙を与えなかった事は確かです。
これで、彼はMaglia rosaを、他の誰にも渡す必要が無くなりました。
そして、Chioccioliを追うRAI(イタリア国営放送)のヘリコプターが、低空飛行で上昇気流を起こしそこらあたりの日除け傘や、帽子を舞い上がらせました。凄い風が吹いたのでした。


Guida rapida d'Italia(TCI=Touring Club Italiano 発行)日本語版によると

ポルドイ(峠)Pordoi(Passo)
標高2236m。 (中略)セッラSella山群を取り巻く4つの峠の1つ。他の3つに比べ、またドロミティ・アルプスの他の峠の中でも最も有名な峠である。(中略)急勾配の道路は、自転車競技チャンピオンの武勇伝の舞台となる。


Giro d'Itala 1991/ 《1》 《2》 《3》《4》

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