74 Giro d'Italia '91

74 Giro d'Italia_ Monviso

≪2≫ Monviso

■Sala Baganza
11atappa(第11ステージ)のスタート地点Sala Baganza(たぶんサラバガンツァ)で、ちょっと細いが頼みの綱となる、真っ黒なイタリア焼けの友人にやっと会えました。
Parmaから15km程の田舎町に、小雨の中20squadre(20チーム)が三々五々と集まってきます。 ほんとに小さな町で、ヴィレッジは有りませんでした。1991年はDolomitiのスタート地点にも行きました。そこではヴィレッジという閉鎖空間、観客を寄せ付けない空間が存在していました。

選手達は、Ber(バール/喫茶店)の店頭などに陣取りマッサージを受けています。観客達は遠巻きに遠慮がちにそれを眺めています・・・・・と言いたいところですが、結構近くまで行ってサインをねだったりしています。節度は保ちながら。
その当時のスーパースターGreg Lemondのチーム、Z-SANSONもそこら辺にたむろしていました。しかし、スーパースターその人は見えず。
PericoことPedro DelgadoのBanestoチームはオフィスか何かの前の歩道に。マッサージや、自転車の調整によねんがありません。ズラリとガラス窓に持たせかけた自転車のサドルには、ビニール袋を巻き付けていました。
Pericoの自転車も例外ではありません。そこらあたりから工面してきたビニール袋は、白が基調のBanestoカラーによく映えて?日本の草レースでよく見かける雰囲気を醸し出していました。

観客が増えてきて、町のメインストリートに人垣ができる頃になると、スタート前のセレモニーが始まります。
私は間抜けにも、スタート時間を把握していなかったという事もあり、カメラのレンズを取りに車まで帰ったので、スタートを見れませんでした。
ゆっくりとスタートして行ったということを友人達に聞いただけです。

■Savona
一日中降ったり止んだりしている雨を追いかけるように、ゴール地点のSavonaへ。

Autostrada(高速道路)をFord Sieraを飛ばしてると、Carreraのキャンペーンカーに乗った、おネーチャン達が追い抜きざまに、窓から食料のだろうと思われる包み紙を投げ捨てた。「なかなかエー根性しとるなぁ。あんな車でよう走るわ。」とマナーの悪さもさることながら、度胸の良さに感心するのでした。
Giro d'Italiaについて廻ってる彼女らの車は、たぶんFIAT Pandaだと思います。それで120km/hは出ている我々の車を追い抜く。抜くときのスピードも半端じゃない。 こっちは2000cc、あっちは1000ccくらい。ちゃちな車ですから、「ようやるわ」となるのです。

Savonaは大きな町で、何処がゴールなのか判らなくて、さんざん町中を歩きました。結局ゴールから離れた、広い道路の脇で選手達を待つことに。
たいした時間も経たない内に、何となくあっけなくという感じで、先頭の数人。一面濡れたアスファルトを汚れきった姿で駆け抜けます。ゴール前の駆け引きの始まりを感じさせるような、ほんのちょっとした動きを見せながら。
そして数分後もっと汚れて、墨絵に申し訳程度に色を付けたような大集団が目の前を抜けていきました。

あっけなかったものの、やはりGiro d'Italiaのゴール。それなりに興奮しました。
興奮冷めぬままに、雨の中キャンプ場を探すのもおっくうだ、ということで町中で宿探しです。Sala Baganzaで合流した友人が頼りです。
まあなんとか安い宿を確保してその夜は、Ristranteでおおいにワインを飲み、ピザ、スパゲッティーと炭水化物ばかり食べました。幸せな気分でベッドに入れました。

■Monviso
11atappaで合流できた友人のプレスカードと、車に張るステッカー、関係車両である証明の看板のおかげで、閉鎖されていた山道に進入することができました。
12atappaはSavonaからMonvisoまでの128km。ゴールのMonvisoは標高2020mです。France国境に近く、1995年に雪崩のためGiro d'Italiaが通過できなかった標高2748mのC.dell'Agnelloの東に位置します。
TCIの地図にはM.Visoと表記されている山がMonvisoの事だと思います。或いはその周辺一帯をMonvisoというのかもしれません。地図では道の行き止まりにPiano d.Re 2020と表記されています。標高からすると此処がゴールだと思います。

余談というか、ついでというか、私は1995年のGiro d'Italiaで、C.dell'Agnelloの雪崩に巻き込まれるところでした。ほんの数分前に歩いて通過した雪の壁が崩れていました。

さて、Monvisoですが、車で上がっていくと徐々に歩いている人、自転車に乗った人が増えてきました。道幅も徐々に細くなってきます。そしてついには3種の神器が通用しなくなり、道路脇の広場に誘導されました。神器にも階級があるようで、上がっていけるプレスの車両もあります。
そこからは歩き。今ほどタフでなかったこともあり、何万人もが・・・・たぶん何万というオーダーだと思う・・・・楽しそうに上へ上へと向かうのに加わることが楽しくもあり、あちこちで立ち止まり、ゴールまでは上がりませんでした。
綺麗に磨きあげた新しい自転車、骨董品のような自転車、へんてこな自転車。よだれが出そうな古いCampagnolo、デザイン的には触手が動かないShimano。そうそうSuntourもありました。そんな観客達の自転車、部品を眺めながら歩くのですから、楽しくないわけがありません。
相変わらずの小雨で肌寒い。道路脇に車を止めるスペースも皆無に近く、天気が良ければVinoで気勢を上げているだろうおじさん連中もおとなしいものです。たまにお嬢さんが自転車で上がって来たり、知り合いが上がってくると熱き声援を掛けたりという程度はしますけど。

そうこうしてる内に、先触れの車両がけたたましく上がってきます。
徐々に高まる期待の中、霧の中ついに豪華メンバーの集団が来ました。
このページのヘッド写真です。
Maglia rosa(総合1位)のChioccioli、Maglia bianca(新人賞)のLelli、Bernard、が確認できます。引っ張ってるONCEの黄色いジャージは、Lejarretaでしょうか?彼だったらいうことなしです。
初めて見たGiroの山岳ステージで彼らが霧の中、互いを意識しながら登ってくるのを見ることができました。はるばる極東の島から此処まで来てよかった。
彼らから遅れて、Chiappucci、Bugno のイタリア人、コロンビア人、スペイン人達が次々と目の前を通過します。スプリンター達も集団で通過します。疲れ切ったかわいそうな選手の腰を押そうと、押し家さんも出現しています。

そして全てが通過し、我々極東からの訪問者は満足感と興奮を引きずりながら、同じ気持ちを共有するイタリア人達と山を下っていきました。
相変わらず小雨模様です。


Guida rapida d'Italia(TCI=Touring Club Italiano 発行)日本語版 によるとMonvisoステージのゴール地点と思われるPiano d.Re (Piano del Re )は、 レー平地 と訳されています。
イタリア最大の河川であるポー川の水源だといわれていた時期があるようです。 Monviso(モンヴィーゾ山)は麓のピエモンテ平野のあちこちから望むことができるともあります。
Giro d'Itala 1991/ 《1》《2》 《3》 《4》

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