タイムリ−/ノットタイムリ−
Vol.6
Giro d'Italia 1998 - 見聞


last update : 15 Aug. 1998
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Intoroduction
Giro d'Italiaは、意外な結果に終わりました。山岳スペシャリストにとって他のグランツ−ルよりも勝つ可能性の高いこのステ−ジレ−スで、何人ものスペシャリストがオ−ルラウンダ−に敗れ去りました。

それが、ずばぬけた山岳スペシャリストのPantaniがMaglia Rosaを着てMilanoに登場したのですから、「意外」と言わずして何というのでしょう。
一芸に秀でた者が、平均的に優れたな力を持つ者を後ろに追いやったのですから、素晴らしいことです。
Tour de Franceではコ−スの構成上、山岳スペシャリストはオ−ルラウンダ−の引き立て役、利用され役になってしまいます。
それに比べるとGiro d'Italiaは、私にとって意外性があって面白い舞台です。

5月20日にItaliaに入って27日の11atappa(Capri - San Marino)で彼らに会うまで、Toscana、Umbria、Marcheの各州をぶらついていました。
そのことも含めて、思い出すままにこのぺ−ジに載せていきます。時系列は、当然ながら無視しています。
Contents
Firenze  15 Aug. 1998
決算  27 July 1998 飾り付け  17 July 1998
La Gazzetta dello Sport 13 July 1998 Claudio Chiappucci  7 July 1998
懐具合  3 July 1998 トラブル 22 June 1998
Gianni Bugno  21 June 1998 無題  21 June 1998
山岳ステ−ジ  18 June 1998 蛍  15 June 1998
World Cup  15 June 1998 Marco Pantani  12 June 1998
フォトグラフ : Giro d'Italia 1998
15 Aug. 1998
Firenze
何度かイタリアに通ううちにGiro d'Italiaと同じくらいに、丘の上で孤立した都市国家の末裔達に興味が出てきました。
中世からの城壁に囲まれた都市。日本の城が庇護すべき民をほっぽって逃げ込む場所であるのに、大陸のそれは、彼ら為政者にとって役に立つ民とともに逃げ込む場所だったようです。

イタリアはいうにおよばず、ラテンでは今でも十分に都市としての機能・・・そこで日常生活が全て賄えてしまう・・・を果たし、今日も北からの観光客も呼び込んでいます。

1996年のGiro d'Italiaが私の中で終わってしまったMilanoへのステージ。その日Toscanaへ、北イタリアから車を走らせました。 少しず(づ?)つ車内気温が上昇、やがて暑さが脳を侵食する頃・・・・Firenzeの文字が標識に。
ルネッサンスで強大、一流だった都市国家には、城壁は必要なかったんだ?・・・と思ってしまう位にその壁跡もなく、Firenzeはアルノ川の川辺にバラ色に横たわっていました。そしてその風景はToscanaの丘にある都市と達はとは明らかに違っていました。

花のFirenze・・・・2つの有名美術館があります。
そこには・・・・・ 宗教画から離れているかに見えるが、何らかの意志を描き込んだSandro Botticelliの「ヴィーナスの誕生(Nascita di Venere)」、「春(Primavera)」
一発勝負のように勘違いしてしまうPiero della Francescaの「ウルビーノ公フェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロおよび妃バッティスタ・スフォルツァの肖像」
「黒」のTiziano、「マドンナ」のRaffaello・・・・等々 3週間の内4日位は、ここで過ごしてしまいそうです。

薬屋のじーさん、今年も元気で、クレジットカードに駄目駄目と手を振ってました。ハーブオイル・・・・ラベンダー買っちゃいました。この店かなり怪しくて、有機栽培の日本蕎、日本の各種キノコ類が壁の棚に並んでいました。

ワインかビールを友に飯食って、眠くなればドゥオーモに行き、ヒンヤリとした空気と、薄暗い中、礼拝用の椅子でウトウトできます。  
contents
27 July 1998
決算
クレジットカ−ドの、決算書が来ました。
レンタカ−代は19日間借りて、\154,865ですから1日当たり\8,150です。 やっぱり高いですよねえ。
年が変わると、季節が変わると、同じレンタカ−会社でも料金は違っています。来年は同じ条件で、安くなるかもしれませんし、高くなるかも。

航空券、滞在費も合わせたト−タルで、ざっと\400,000位になります。
これを、私と同じ生活水準を維持するとして、2人で行ったと試算すれば、\322,000で、3人では\301,600となります。
私の生活水準、そんなに高くはないです。でも、毎日2食以上は食べていました。夜は、キャンプ場が主でした。
リストランテで食べたのは、イタリア、スイス滞在19日間で、たったの6回です。
屋根の下でベットに寝た日を指折ってみますと、3本だけ・・・・
飛行機中での3日間は、上膳据膳で飲み放題でした・・・・これが一番のぜいたく。

1日当たりに換算すると、\18,000位ですか。1997年のスペインでは1日当たり\15,090で毎夜レストラウンテで食事してましたから、今年はやっぱり苦しい生活だったようです。

けれどやっぱり、Giro d'Italiaはいいですよ。Giroと何の関連も見つけられない靴下、工具セットを商ってる公認テキヤはまだまだ健在です。何時間も前から、楽しみを見つけて騒いでるイタリア人も健在です。
contents
17 July 1998
飾り付け
イタリア人達のウィンドウディスプレイは、田舎住まいの私なんぞには「さすが」と思わせる程、小気味の良いものです。
小さな町でもです。・・・まあ、たまには例外も有ります。
Giro d'Italiaが町にやって来るとなると、どっからか自転車を仕入れてきて、そこがなんの店か判らないくらいに、ウィンドウに他の自転車関連品と一緒に目立つように飾ります。
La Gazzetta dello Sportのピンク色の新聞も、手軽でしゃれた演出を担っています。それと、ピンク色の風船も。
Pantaniが多数のタイムオ−バ−を作り出したステ−ジ、スキ−リゾ−トPiancavalloのショッピングセンタ−の出窓(*photo)
飾っている写真は二昔以上前のセピア色。かつてのチャンピオンです。周りの瓶には、私ならGrappaを入れます。

Grappa(グラッパ)は、ブドウの搾りカスから作る「粕取り焼酎」です。
米の粕取り焼酎はたいていの場合、甘くて美味いですねえ。
Grappaは蒸留を経て作る焼酎・・・スピリットというべきでしょうか・・・残念ながら甘くはありません。
各地にいろんなGrappaが存在します。私は、あまり試していないのですけれど、たいていは無色透明でアルコ−ル臭さと、ほのかにブドウらしい匂いが混ざっています。
Barでおやじさん達が、caffeに注いでもらっているのを見かけます。
Chianti(キャンティ)地方のやつが、ブドウの蒸留酒らしく色と味がブランデ−に似ていました。
1992年のGiro d'Italia 第12ステ−ジのゴ−ルBassano del Grappaが発祥の地と言われています。Piancavalloから南西へ直線で75kmにGrappaの故郷があります。いつかは訪れてみたい所の一つです。

紫外線たっぷりの太陽が、誰彼の区別なしに降り注ぐようになると、観客達はLa Gazzetta dello Sportを折って日よけの代用品に頭に乗せます。
ちょっと、日本で作る新聞紙の兜の造りに似ています。
contents
13 July 1998
La Gazzetta dello Sport
Giro d'Italiaを仕切って81回の新聞社、ピンク色の紙を使ってるので他とすぐに見分けられます。
あっこれ日本のスポーツ新聞のように、ピンク記事1/2以上という訳わからんやつとは違います。
格調高くかどうかは、イタリア語を理解できない私には検証できません。
おねーちゃんが控えめにポーズしてるのが2、3ページ。
スポーツ全般を扱ってるということだけでも、私にとっては格調高い新聞です。どんな田舎町に行っても毎朝ちゃんと売っていました。

日本の地方紙と比べてもお世辞にもいいとはいえない、紙質と写真印刷です。
しかしそこに自転車と、選手たちが載っているだけで嬉しくなってしまいます。
当日迄に詳しいコースが判らなくても、朝La Gazzetta dello Sportを手に入れることが出来れば、地図を見ながら現地へたどり着きます。

今年は、サッカーのワールドカップ関連の記事が、紙面前半を占めていまして、Giro d'Italiaは、新聞の真ん中辺りからちょっと後ろを開けばちょうどくらいのステータスを与えられていました。
それがMario Pantaniが総合一位へ登ったとたんに、第一面は彼のドアップ(*image)

Giro d'Italiaが終わったとたんに紙面の3/4位は、またサッカー一色となったことでしょう。フランスに負けてからは、あつかいが減ったと思いますけど。

大挙してイタリア人達が、サッカーの憂さを晴らすべく、
前半戦は、Cipolliniに後半戦はPantaniを応援にフランスに繰り込みそうです。
そんなこともないかな・・・けれどやっぱり彼らは、Tour de Franceを騒ぎそして楽しむ事でしょう。

そろそろ、Tour de Franceが始まります。アッ・・・・もう始まってました。
Pantaniはプロロ−グで189人中181位でした。
まあ、妥当なスタ−トでしょう。マイナス180まで登りつめるでしょうか?
contents
7 July 1998
Claudio Chiappucci
10年近くグランツ−ルの顔として彼は、老若男女問わずに抜群の人気を得ていました。「ディアブロ」というすばらしい称号を得た彼は、その称号に負けないアタックを繰り返して観客達の称賛を得ていました。

今年のGiro d'Italiaには、彼の眷族?「ドイツのディアブロ」(*photo)が顔を見せていました。サ−ビス精神も豊富のようです。
「ドイツのディアブロ」は大きな自転車・・・・モニュメントとでもいうような代物をワンボックスカ−につなぎ、ドロミテから後のステ−ジ全てに顔を見せていました。全ステ−ジ廻ったんでしょうかねえ。
・・・山道あんなのを引っ張って。・・・山岳ステ−ジでシャワ−浴びる暇、有るんでしょうか。

スプリンタ−を代表する顔のMario Cipollini・・・・ほんと馬のようにでかい顔ですねえ。・・・
彼ぐらいの大役者になると、ファン達はMilanoまで走らなくても満足するようです。
前半戦はTVで貫録あるスプリントを見ます。お世辞にも速いとはいえない個人タイムトライアルでじっくりと声援をおくります。そして山岳ステ−ジでは、スプリンタ−集団の第一列で和やかに登ってくる顔見世興業を楽しむ。
そして山岳が本格的になると、今年もさっさと彼は家に帰えっちゃいました。

Mario Cipolliniの替りに、髭面「ディアブロ」がスプリンタ−集団の「顔」になってるのを見つけて、唖然としてしまいました。
それは17atappaのPasso Fedaia(Marmolada)でした。そして、その後の山岳ステ−ジでも。
Gianni BugnoはTonkovという良きエ−スを得、アシストとして十分な働きをしていたのに、彼はアシストすべきエ−スを持たずに、スプリンタ−達とともに横一列。・・・かつて、縦一列の小集団の先頭辺りが彼には、似合っていたの に・・・
年を重ねるというのは、こういうことなんでしょうかねえ。・・・いやいや、まだまだ。
来年は良きエ−スを得て、存分に、皆が納得する、気持ちの良い仕事をしてもらいたいですねえ。

彼と、Gianni Bugnoには、Indurainのごとくに「まだまだいける」状態でこの舞台から去って行かないことを期待しています。。
棺桶に片足を突っ込むまで・・・・医者に止められるまで、Giro d'Italiaに出てきて私たちを楽しませてもらいたい。
それは、私の期待でもあり、イタリア人達にとっての期待でもあると思います。
contents
3 July 1998
懐具合(滞在費)
イタリアを車で廻ると、懐具合が寂しくなります。
今年は一段と厳しく、前半の観光バ−ジョンでは毎日1万円近くの消費。
ガソリンが1リッルあたりLit1,780・・・・何と、144円(Lit1000=\81として)です。30リットル入れると、4,320円。Autostradaの料金は日本より安いといっても200、300km走れば2,000円位は必要です。

寂しい昼飯が、主流になっちゃいました。
Assisiでテ−ブルからの眺めが良いので、思わず入ってしまったRistranteのピザ、白ワイン1/4リットル、Caffeで気持ち良く酔った昼飯がもっとも豪華でした。
いつもの昼は、厚手生地の切り売りピザ、ビ−ルorワインが主流でした。

1996年に比べると、Vino(ワイン)が高くなったように思いました。
テ−ブルワインはそれ程ではないですけど、一寸味を楽しみたい、試したいと思うDOC、DOCGクラスは、いくぶん高めでした。
1997年にLit10,000からLit13,000だったのが、Lit20,000・・・高いからといって、好みのやつに出会うか判らないし、・・・・ニの足を踏んでしまいます。
迫り来る、EUの通貨統合のせいでしょうかねえ。

T/C(トラベラ−ズチェック)が全部無くなりそうな勢いで、換金していました。
しかし、後半のGiro d'Italia観戦バ−ジョンになってから、突然勢いがなくなりました。
車での移動時間より、峠道を歩いている時間が長くなったせいもあり、ショッピングに掛ける時間が減ってしまったからです。ガソリン代、高速道路料金の経費も減ってきました。

ス−パ−マ−ケットでのショッピング、これがくせ者です。ビ−ルとワインには勿論のこと、ジャンボサイズのナスやピ−マンに誘惑され、果物達に、瓶詰オリ−ブ、マグロやイワシのオリ−ブオイル漬けに・・・ついつい手が伸びてしまい、カ−トの中へ・・・Lit50,000位はあっという間です。

20日間で\160,000分のT/C・・・これで、宿代(キャンプ18泊)、ガソリン代、高速道路料金、6回のレストラン以外は自作の食事代、若干のお土産、それらの全てを賄うことが出来ました。
といっても昨年のスペインに比べれば物価の高さを実感しました。

スペインの22日間は\130,000で収まりました。夕食はほぼ毎日レストランでしてましたから、その差は・・・数字以上に大きいと思います。・・・せこい比較で済みません。・・・・でも、料理の味はイタリアに比べて、もう一つ何かが足りませんでした。

今年の\160,000のうち、Lit110,000とSF30が手元に残りましたから、\10,000位余った勘定です。
粗雑そうなイタリアリラが、来年のお供に・・・と私に訴えかけています。

イタリアで「CITIBANKカ−ド」は使えませんでした。ATMから拒否されてしまいました。スイスでは試みていません。
レンタカ−代がどれだけなのか、まだ判りません。
contents
22 June 1998
トラブル
毎回トラブルは、大小を問わずあります。
今年借りた車は、Renault Meganeでエアコン付き。
1速がどこに有るか分かりにくい、ミッション。エンスト数十回でした。
まあどうにか、無事にZurichで返すことが出来ました。

スイスとイタリアを出入りする時、検問所で止められて質問を受けます。

かつて、麻薬係なのか室内を嗅ぎ回る犬に、抜け毛のお土産を貰いました。
幸いにも、今年はそんな災難にあいませんでした。

Zurichで帰りの便に乗るまでの間、Swatchを物色し散々迷って支払いを済まし、 店の外へ・・・何か怪しげなニ−チャンとネ−チャンが、私のカ−トの横で何にやら話しています。カ−トから降ろされたバック。
何じゃ、このニ−チャンたち・・・とバックを取ろうとすると、攻撃的な言葉をドイツ語で浴びせかけてきました。
私は、何言ってるか訳わかんないよ・・・という表情。
彼らは、英語に切りかえ、「3時間も前からおまえは、ここに荷物を置いているよ。」「冗談じゃないよ、30分ぐらいだよ。」
Policeカ−ドを見せられ、「長く置いてると、爆弾と間違えるよ、中身開けたからね。」
パスポ−トと航空券を見せて、やっと開放されました。
濡れ物を包んだビニ−ル袋が、破れていました。
まあ、しゃあないですわ。
教訓・・・空港で店に入るときは、たとえ巨大な荷物でも持って入りましょう。

スイスエア−のカウンタ−で、荷物室に入れるバックが33kgと計られてしまいました。オネ−さん「オ−バ−分の追加料金は、200SF」
2万円近く払う気なんてさらさらなく、困った表情をしてると「3kg減らして、出直しなさい。」と助言。
機内持ち込みバックに、濡れ物をビニ−ル袋にくるんだやつを4個ほど放り込み、合格となりました。
そして、それを私服のPoliceに破られました。
contents
21 June 1998
Gianni Bugno
Italiaでかつて、Claudio Chiappucciと人気を二分していた男。
1996年も多くの声援が、彼らに与えられていました。
Marco Pantaniが表舞台に登場してきて人気を吸い取られたのか、今年は彼らに与えられる声援のボリュ−ムが、少し低くなったように感じました。

当然のことながら、力も最盛期と比べると落ちてきています。かつてのエ−スは、Tonkovのアシストとして働いています。

私は、Chiappucciに対するほどの好意を彼に対して持っていませんでした。
確かに強い、しかし何かが足りない様に私は感じていました。その「何か」は未だに判りません。

今年の過酷な山岳ステ−ジで、彼Gianni Bugnoはほとんどの場合、中ぐらいのポジションで登って来ました。
満足はしていないけど、不満という事もないかのごとく、ますます貫録がついた風貌でアシスト仲間達と、あるいは単独でゴ−ルラインに向かっていました。


19atappaのゴ−ルPlan di Montecampione(*image) から10km手前に設けられたトレ−ラ−上の大画面前は黒山の人だかり。RAI-treのTV中継を流していました。
Zuelleがライバル達から遅れてしまい、アシストの腰を押し、「もういいから行ってくれ」というようなそぶりを見せると、観客達はちょっと嬉しさを含んだどよめき。
Zuelleのアシストが一瞬後ろを振り返り、今までの力強さが嘘のように脚が止まり、後方へ。・・・それをリプレイ。
懸命にTonkovをアシストするBugnoをカメラが写すと、どよめきと歓声。

PantaniとTonkovが互いに様子を探りながら通過して行った後、他のチ−ムの山岳スペシャリスト、エ−ス達に混じり何とも表現できない表情をしたFestina、Mapei、Mercatone Uno各チ−ムのアシスト達が仕事の完結をゴ−ルラインに求めて、私の前を過ぎ去って行きます。
Bugnoが現れると一際大きな声援。彼の仕事を大画面で見た、あるいはラジオで聞いた観客達。
・・・まっとうに評価できる観客達・・・ヨ−ロッパでは当たり前ですかねえ。・・・
私の彼に対する見方が変わりました。・・・単細胞です。Gianni Bugnoが「マイ・フェイバリット・コレド−リ」の一人になっちゃいました。
contents
21 June 1998
無題
土屋朋子さんの
自転車クラブ With Tomoko に群馬実業団カップを題材に、 フランスの選手には勝たせたくない! てのがあります。(情報源はThis Charming Bike・・・Resource)
辛辣で、なかなか・・・私はこういう言い方って・・・大好きです。

ヨ−ロッパのチ−ムオ−ナ−達は、もちろん勝つという事にこだわっていると思います。
しかし、それを得るための過程でのアシストの役目、エ−スの役目を評価し得る資質を彼らは持っている・・・と思います。
沿道に詰めかける観客達もエ−スを、アシストを評価し、拍手喝さいしているように見えます。
彼らにとって、土屋さんの言うようにリザルトは関係なさそうです。・・・PantaniがMaglia Rosaを得るのかは、気にしてるようでしたけど、・・・リザルトに至るまでの過程、見せ場に対して喝さいを贈り、溜息をついているようです。

そんなヨ−ロッパで、日本のトップ選手達で編成したチ−ムが、日本国内のレ−ススケジュ−ルに左右されることなく、フルシ−ズン走れる環境が出来たら日本のロ−ドレ−スも変貌するのでないでしょうか。
ロ−ドレ−スの技術を教える監督、コ−チを経験豊かな現地の人に任せ、選手の何人かも現地調達し、彼らに身をもって教えてもらう。
・・・・なんて事は以前から、ささやかれている夢物語なんでしょうかねえ。
バブル時代にどっかの会社をだまして・・・・ならどうにかできた、でしょうけどねえ。・・・誰がだますんやろ。

たしかスペインで活動している、日本人とスペイン人の混成チ−ムが有りましたよねえ。
しかしその活動を伝える記事は、あまり多くはなかったと思います。・・・・雑誌は立ち読み専門なんで、あいまいな記憶・・・・
活動を伝えてくれるWebサイトはないでしょうか。
contents
18 June 1998
山岳ステ−ジ
Giro d'Italiaの山岳ステ−ジは、毎年なかなかのものです。難所が続きます。
Passo del Mortirolo(1852m)はGiro d'Italia屈指の峠といわれています。ビデオで昨年(1997年)のMortirolo・・・最後の山岳ステ−ジ・・・を見る機会がありました。
GottiもTonkovも足が止まりそうになっていました。アシスト達はとっくに役目を終えています。Belli(BRESCIALAT)が引っ張るよういな形で、たったの三人で峠を登り、Tonkovが僅かながらのボ−ナスタイムを貰い・・・しかしながら、総合2位に甘んじてGiroを終わりました。
そのTonkovも1996年は、Passo del MortiroloでOlanoからMaglie Rosaを取り戻しています。
車も登れなくなってしまう様な坂。今年、そんな車達を見ました。

数年前から、行ってみたいと思っていた
Passo di Fedaia - Marmolada(*iamge)から3ステ−ジ続く山岳。
立ち止まったサポ−トカ−は後ろから来る選手達を気にしながら、観客達のサポ−トを受け、ブレ−キバンドとタイヤの焼ける匂い、未燃ガスの匂い、そして騒音をまき散らして去って行きました。

Pantaniが、ライバル達の力を奪ってしまった3つのステ−ジ。
平均勾配6.5%から8.15%が5つも連続し、10km以上の苦行を強いられる峠が3つ・・・それが初日。
次の日9kmを平均8.4%の山頂ゴ−ル・・・これが一番強力な平均勾配。
3日目も5つの峠。山頂ゴ−ルは平均勾配8.1%で19km、標高差1532mのクライムです。
Tonkovってこんなに強かったのか・・・思わずつぶやいてしまう程、Pantaniにからんでいました。
それがほぼ限界だったようです。もう1日そんな山岳ステ−ジが有れば、Tonkovは圏外に追いやられてしまった・・・のかもしれません。
contents
15 June 1998

イタリアの蛍は鋭角的に飛びながら、日本の蛍より弱々しい光を放っていました。 飛び方はともかく、光の具合は人間と逆のようです。
イタリア人は、光り輝いているように見えます。そのはっきりとした発声と、身振りで接してくれたいう事で。

キャンプ場の小鳥たち、イタリア人と同様によくさえずります。朝早くから、夜遅くまで。
スイスのキャンプ場にも、イタリア的な小鳥たちが居ます。

子供たち、仮設照明に浮かび上がった町の広場で、夜遅くまで遊んでいます。
仮設の壁に向かい、フリ−クライミング。数台の卓球台で遊び、小さいのは球拾い。
・・・金曜日の夜でした。
contents
15 June 1998
World Cup
ワ−ルドカップ・サッカ−の可哀想なサポ−ト達。
フランスのダフ屋から、大枚はたいて券を買ったんでしょうか。
後半戦になってから、日本のサポ−タ−が膨れ上がったということで、やっぱりダフ屋のアンチャン、オッチャンから手に入れたんでしょう。
20万円を懐に旅立った教員殿もいたということで、非教育的いや多いに教育的なダフ屋さんと交渉したんですかねえ。

それに比べて、こちらのワ−ルドカップはヨ−ロッパに行きさえすれば、タダ(無料)で間違いなく選手達と1m位で御対面できます。
勿論、地図見ながらそこまで行かなけりゃ、だめですけど。
・・・私、まだ行ったことないですけど・・・雑誌の写真を見てると、楽に観戦できると確信できます。
・・・ステ−ジレ−スと比べると、どうでしょうか?
contents
12 June 1998
Marco Pantani
グランツ−ル無冠ながら人気者のChiappucci・・・彼の後継者と目されてたMarco Pantani(*photo)が、とうとう・・・冠を得ました。
何度も事故に襲われ続けてきた彼、それは支え続けてきたチ-ムスタッフや、山岳で引きまくって足が止まり落ちていったアシスト達にも、共通の喜ばしきことだったらしく、
サイクルガレ−ジに載ってる砂田氏のレポ−トによると、最終日のMilanoにチ-ム全員が彼のトレ−ドマ−クで現れたそうです。観客から、やんやの喝さいだったでしょう。

私のみならず、イタリア人達も21atappa(Mendrisio - Lugano)でTonkovに逆転されるのは、間違いないとあきらめていたんじゃないでしょうか。
フラットな個人タイムトライアルのコ−スは、彼の不利になることはあっても、有利になるなんてことはあり得ないことです。

それを、その見方を見事に覆したのは、彼の山岳ステ−ジでの強力で執拗なアタック。
その攻撃により、Tonkovはタイムトライアルでの能力を発揮できない程に消耗してしまったんでしょう。

Pantaniを初めて見ました。
独特の雰囲気、これは多分に予備知識によるものでしょうけれど・・・何かやってくれそうな、・・・あっち向いて行っちゃいそうな・・・を感じました。
Triesteのタイムトライアルは、やっぱりというふうに弱かったんですわ。・・・まさかそこまでの力が有るとは思っていませんでした。
contents

フォトグラフGiro d'Italia 1998
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