Vuelta a Espana 1994

Jalabert

 

(2)Sierra Nevada 

Sierra Nevada
Sierra Nevadaという地名は北アメリカにもありますが、ここが本家本元でしょう。
麓のGranadaにあるArhambra宮殿の豊富な水は、このSierra Nevadaが源と言われています。
標高3000mを越すその山並みは、幾つかの頂が並ぶのにかかわらず、私には独立峰のごとくに乾いた地平にそびえ立って見えていました。

6aEtapa(4月30日)、Romingerは独りで上がってきました。標高680mのGranadaから標高2250mのゴールまで、彼はどこから独りだったのでしょうか。
その距離40.2km。私は彼を見た瞬間、ずっと下から独りだったと思えたのでした。それは前年の1993年Tour de Franceの山岳ステージで、Indurainとの競い合いを見たからです。
Giro d'Italia、Tour de Franceに比べれば、山岳ステージの厳しさが劣るとはいうものの、絶頂期と思われるその当時のRomingerは、他の誰よりも速くSiera Nevadaに上がってきたのです。圧倒的に強くなければ、山岳で他チームのエースや山岳スペシャリストを後方に置き去りにするなんて事は出来ないのです。
RomingerはCLASチームのエースで、リーダージャージを着ています。彼を独りで行かせるなんて事は、有望選手を抱えるチームにとっては許されないこと。

彼が過ぎ去ってから、彼との競い合いに破れたエースや山岳スペシャリスト達が通過して行きました。
その中には、山岳のアタックに鋭い切れ味を我々に見せてくれていたPericoことPedro Delgadoもいました。彼はこの年だったと思いますが、ステージレースのスペシャリスト集団から静かに去っていきました。

Benidorm
スペインにイギリスが突きつけた針Gibraltar(ジブラルタル)が、地中海の西門の片脚。もう片脚はモロッコにスペインが打ち込んだ楔Ceuta(セウタ)。
西門からCosta del Sol(太陽海岸)、Costa del Blanca(白の海岸)、Costa del Azahar(オレンジ海岸)、Costa Dorada(黄金海岸)、Cost Brava(?海岸)と北からの旅人達が憩う海岸が続き、フランスへ。
Benidorm(ベニドルム)はCosta del Blancaにあります。バルセロナオリンピックのロードレースコースもこのあたりだったはずです。
地下駐車場に車を入れて海岸に行けば、さすがにフランスの広大な海岸のように無数の人と、トップレスはいないまでも、砂の彫刻と間違えてしまいそうな砂をまぶした人体が、遊歩道沿いに横たわっていました。
Vuelta'94
8aEtapa(5月2日)、街ではスタート台の準備がたけなわ。まだ観客は少ない、スタート台の周りを自由に行ったり来たりできます。言葉に堪能ならスタッフに話しを聞けそうです。色々と眺めながらながら、そこらあたりをウロウロ。
街のBarでCerveza(ビール)を飲みながら、おまけのつまみを口の中へ、何だったか忘れましたがなかなかの美味でした。

ちょっといい気分で、スタート台近くに陣取り選手を待ちます。
やがて彼らが姿を見せます。
それぞれの表情で、きびしく或いはにこやかにスタート台に上がります。カウントダウンが始まるまで笑みを忘れない彼でも、いざカウント係が10本の指を開くと、表情が変わります。今日はチームの思惑から幾らかは離れ、自分を見せられる場。自分の思惑どうり、自分を表現できる日。

やがて金網の向こうにも人だかり、誰が台の上にいるのか判らなくなってきます。それでもねばって金網にかきつき、シャッターの指に力を入れたり抜いたり。

隙間からほんのちらっと見えたRomingerが、台から走り降りると周りのみんなは海岸通りへ走ります。
距離は40kmなので、すぐに選手達は帰ってきます。私も彼らと共に、急ぎます。総合上位数人が帰ってきます。アッという間に、Romingerがやって来ました。やはり1994年の彼は他の選手に比べて、何かが違っていました。何とも言えぬ力を私でも感じました。


ミシュラン・グリーンガイド日本版によると

シエラ・ネバダはグラナダが頂く万年雪の王冠である。(sierraは山脈、nevadaは積雪で、雪の山脈の意)。・・・中略・・・四方八方を見渡せるパノラマは比類がなく、
・・・中略・・・南には地中海が見える。


Vuelta a Espana 1994/ (1)(2)

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海外レース観戦ガイド用品編 [参照:【たどころ】氏の 海外レース観戦ガイド


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