InfoCiclismo
原典:Frank Gonzalez infociclismo
翻訳:Togo Mikio
Frank Gonzalez氏と東郷幹男氏に感謝します。
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  インフォチクリズモ 12月30日
  結果及びニュース
  第35回 Vuelta a Costa Rica
ステージ 12
水曜日の厳しい最終ステージの最後10kmで、メキシコ人 Miguel Arroyo は、苦 闘したものの、第35回 Vuelta a Costa Rica の総合チャンピオンとなった。
"大変なレースだった。我々は何度も困難に直面したが、これが見返りだ。" と 151kmのステージを終えたメキシコ選手は語った。

Arroyo (33) は、12ステージ1,717kmを43時間47分8秒で走った。最終ステージ1分 24秒差でスタートした2位のコスタリカ人 Jose Adrian Bonilla は、Arroyo の 弱みをついて残り30kmでタイム差を縮めたものの、最終的に36秒差にしか至らな かった。
最終総合成績:
1- Miguel Arroyo (Mexico)
2- Jose Adrian Bonilla (Costa Rica)
3- Alvaro Lozana (Costa Rica)
4- Oved Yesi Ramirez (Colombia)
5- Federico Ramirez (Costa Rica)
6- 0Hernan Dario Munoz (Colombia)
7- Gregorio Ladino (Colombia/Mexico)
8- Julio Cesar Rangel (Colombia)
9- Guillermo Torres (Guatemala)
10- Raul Gomez (Colombia)


  ニュース及び特集
  FABBRI 懲戒
イタリア自転車連盟の懲戒委員会 LEGA は、Mapei-Quick Step のスポーツ監督 Fabrizio Fabbri を "メディア操作によって、自転車連盟とナショナルチーム 技術監督に対して過度に有害な悪評を流した" として50万リラの罰金を言い渡 した。
これはヴェローナのエリート世界選手権について Fabbri が Antonio Fusi の対して公言した事の対抗措置。
この Andrea Tafi のスポーツディレクターは、 以下の様に述べている。
イタリアのナショナルチームセレクター (Fusi)は、レ ース中世界選手権の周回コース内に停車したキャンピングカーに乗って作戦を指 示していた Giosue Zenoni (元イタリアナショナルアマチュアチームの監督) を 指揮下に置いてチームを操作していた。
: この件については事実関係は全く確認 されていない。


  TRENTIN 事故
Guido Trentin (Vini Caldirola-Sidermec) は、路上の事故で左腕と鼻を骨折し た。彼は30日間の休養が必要。

  TALESSIO-BANCA SGM
新チーム Alessio-Banca SGM のプレゼンテーションが本日行われる。選手は18名 、Miceli, Leoni と Gontchenkov が含まれる。

  メジャーステージレースの個人タイムトライアル
最後の一漕ぎまでの情熱。
Vuelta a Espana 2000 はマドリードの個人タイムト ライアルで幕を閉じる。
この形態は、既にメジャーステージレースで31回行われ ているが、そのうちの6回で総合成績を左右する大きな出来事が起った。

ラ・ヴエルタ・エスパーニャ 2000 は、最終ステージまで興奮を高めるためにマド リード街路の36km個人タイムトライアルで締めくくられる。
最も最近の鮮明な記 憶は、1989年のツールドフランス、シャンゼリゼで米人 Greg LeMond が仏人 Laurent Fignon からマイヨジョーヌを奪ったことだろう。

LeMond は、この頃ロードレースでは殆んど知られていなかったトライアスロン DHバーをこの個人タイムトライアルで使った。
彼は平均速度54,545km/h (未だ20km 以上のタイムトライアルでの記録)で走り、この前までの仏選手との差50秒を引 っくり返し、たった8秒差(ツール史上最小タイム差)でツールドフランスに勝利 した。

それでもなお、最終個人タイムトライアルが決定的となるのは僅かな可能性だ。 最終ステージが個人タイムトライアルとなった31のメジャーステージレース(ツ ール9, ヴエルタ11, ジロ 11) で、総合成績が変ったのはたった6回(ツール 2, ヴエルタ 3, ジロ 1)。
従って最終個人タイムトライアルで王者が決定する確率は、 19.35%となる。率はそれほど高くないが、この値は意味深長である。
どの道、情熱は冷徹な統計などで物語ることはできない。例え小さな確率であれ、これと掛 け離れた盛り上がりを見せるに違いない。

1967年のツールドフランスで Julio Jimenez に起った事例。
ベルサイユからパ リの個人タイムトライアル(22年後の LeMond と同じケース)で、このステージ前 Roger Pingeon は1分39秒のタイム差を持っていた。
"実質的にツールの優勝が不 可能なのは解っているが、最低限銀の望みがあるのは救いだよ。自分自身にこう いい聞かせているんだ。: Pingeon だって調子の悪い日はあるだろう?
しかし、 この仏選手は失敗しなかった。更にその差を3分40秒に広げ、望みは露と消えた。

Pingeon は1969年のヴエルタ・ア・エスパーニャでも同じ経験を体験したが、また この状況を切り抜け、Luis Ocana からジャージを守り切った。
このトライアル の記録は誰でもない Eddy Merckx によって作られたが、彼は総合時間を更に広 げ、決してその差を詰めさせなかった。
そしてその逆を経験した選手は Fignon。 かれは1989年のツールで LeMond だけではなく、1984年のジロで Francesco Moser にも負けている。

Agustin Tamames は、両方の経験をしたただ一人の選手。
最終日にしてレースを 失い、同様にして勝利を得たこともある。
このスペイン人は、1970年のヴエルタ ・ア・エスパーニャで Luis Ocana に負けたが、1975年同様の状況下で彼は Domingo Perurena からリーダージャージを奪い取った。
"私は個人タイムトライアルの表 裏を体験した。それが明白に見えても、最終日の個人タイムトライアルは、良し 悪しの両面がある。勝者にとって良いが、敗者にとって不幸だ。" と Tamames は語った。
彼は、2000年のヴエルタがマドリードの個人タイムトライアルで終え るアイデアに喝采を送っている。
"私の時代それは良く行われたし、最終日まで 不確実な状況が持続するので好きだった。"

1975年のヴエルタは、最終日まで興奮の連続だった。
Perurena が総合リーダー だったが、4選手が手に届く範囲にいた: 57秒で Miguel Maria; 1分16秒で Tamames; 1分55秒で Hennie Kuiper; 2分9秒で Luis Ocana。
最終的に Tamames が Perurena に14秒、Lasa に33秒差でヴエルタに優勝した。1970年大会は非常に異なっていた。 Tamames は Ocana にたった9秒しかタイム差を持っておらず、ヴエルタを失った。


***今世紀最高の選手の投票


  CONI AMORE VITA の監督を召喚
水曜日イタリアオリンピック委員会(CONI)は、ドーピング疑惑で Amore Vita サ イクリングチーム監督を1月7日に事情聴取のために呼び出したと公表した。
CONI はこの声明の中で、自転車のドーピング疑惑に対する広範囲の調査をしているボ ローニャから送られてきた文書を検討した後、この委員会は Barsottelli を召 喚したと述べている。

イタリアプロフェッショナルサイクリングリーグのスポークスマンは、Barsottelli のチームは今年英国のサイクリング連盟と密接な関係にあったと述べている。
CONI はこの他にも Veneta Trevigiani チームのスポーツディレクターと Futura チームの会長を含む3名を召喚している。

CONI は、この微罪判事が今月発行された雑誌GQの記事に従って、アンチドーピ ングの調査を独自に開始したと述べている。また、事情聴取のために Vellutex Colnago のスポーツディレクター Olivano Locatelli とチームドクター Fabrizio Verzini が1月7日に呼ばれた。
イタリアのスポーツを監督する CONI は、これ以 上の詳細について触れていない。

イタリアのスポーツは、今週早くに発刊された国内の新聞で暴露された広範囲の 血液ドーピングプログラムに関与した22運動選手のリストで、新しいスキャンダ ルに直面している。
ローマの日刊紙ラ・リプブリカのこのリストには、自転車選 手 Gianni Bugno, Claudio Chiappucci, Maurizio Fondriest, Rolf Sorensen 及びノルウェイのリメハンメルで行われた1994年の冬のオリンピックで4x10kmチ ームリレーで金メダルを獲得したイタリアのノルディックスキーチーム4人の選 手の名前が含まれている。
この新聞は、1990年台北イタリアのフェラーラ大学の 教授の指導によって、この運動選手達は禁止ホルモンエリストポエティンを使用 したと主張している。


Thanks Frank Gonzalez
東郷幹男@東京中野
QFH01400@niftyserve.ne.jp
mikitogo@ns.adgnet.or.jp
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