原典:Frank Gonzalez infociclismo
翻訳:Togo Mikio Frank Gonzalez氏と東郷幹男氏に感謝します。 |
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インフォチクリズモ 12月29日 結果及び概要 STAGE 11
第35回 Vuelta a Costa Rica
今日最終日を迎えるコスタリカ一周は、, メキシコ人 Miguel Arroyo が総合優 勝に頭一つ抜け出した。
San Isidro del General から San Jose 迄のステージ 139kmを Arroyo は最有力候補としてスタートする。
これに1分24秒遅れでコスタ リカの Jose Adrian Bonilla、2分39秒遅れでコロンビア人 Alvaro Lozano が追 っている。
Arroyo は、最後から2つ目のステージでコスタリカのチームに所属しているコ ロンビア選手 Julio Cesar Rangel の助けを借りたとしてペナルティの疑いがあ ったが、これを逃れた。
UCIは、他チーム間の援助を禁じている。
Arroyo が下り でパンクした際 Rangel の助けを借りたことを否定し、Rangel が Arroyo を助 けたことも否定している。国際審判 Jose Luis Rico はビデオを見た後、Rangelが Arroyo を助けたとする確固たる証拠がないと判断した。
ニュース及び特集 Cipollini は、彼の'赤い特急' をカリブの島グアドループに連れて行き、ミラノ -サンレモに再び備えることにした。
CIPOLLINI'S LIFE
このレースは、今迄ずっとスプリンター達 を拒み続けてきたが、段々と彼等に馴染んできている。
"俺だってサドルに跨っ ているだけではない。チョコレートや濃厚なソースから離れているさ。: 強敵も ダイエットしているからね。" と Cipollini は意気込みを語った。
Cipollini は12月を過ごしたグアドループに戻る。
"Scirea, Conte, Mori に とって休暇報酬となるだろう。1日6,7時間自転車で外に出かける休暇だけどね。 これでサンレモに良い調整ができる" と Saeco-Gaggia のキャプテンは述べた。
Mario は 1999年について以下のように述べている。:
"私は困難な立場に立たさ れている。私の父は、彼が被ったひどい事故のリハビリテーションの真っ最中で : これは私の家族全てにとっても容易ならざる時期だった。自転車は、緊張を解 いてくれ、問題を幾らか軽減してくれた。
長い年月が経ったが、仕事に対する情 熱は全く変わっていない。" と33才を迎えたライオン王は語った。
"少し雄弁すぎるかも知れないが、来シーズンの目標はもう一度ミラノ-サンレモ にしようと思う。しかし、去年は状況が変り、スプリンター達がレースを支配す るよう感じがしている。本当に、私は自転車を降りることはなかった。2時間か ら2時間半乗り続けていた。"
Cipollini は、1月中18日間調整を行う予定。
"これが最初のレースに向けた最終調整となる。戻ったら、私の2000年初レース と地中海で我々は2週間走る予定になっている。"
サンレモに向ける心構えとは: 冬の間も家から遠く離れて、トレーニングに向い た暖かい場所で自転車から離れない。
その他の事項と最も代償になったものは: "チョコレートケーキは止めたが、練 習が厳しくなったときに、練習後の夕食に白米やパスタを食べるようにした。チ ョコレートは葬り去った。"
また、自転車のポジションの微調整技術的側面も 忘れないようにしよう。
"私は常に低いポジションでペダルを踏んできたが、このために全ての筋肉を有 効に使えずハンディキャップとなっていた。だから私はとても注意深くサドルの 高さを上げ始めた。96年のモンテヴェッリオの国内選手権優勝を基準とすると、 現在私のサドルは1.5cm高くなっている。" と仕事、犠牲、観察力を列挙した。
Cipollini は個性が強く、雑誌のカバーモデルのように映える。しかし、彼のプロフェッショナリズムは議論の余地がない。
99年勝利を見込まれていた伊の Massimo Strazzer は、2000年 Chioccioli と Cenghialta が指揮する Alessio-Banca S.G.M と契約した。
STRAZZER 契約
Tessitura Seride 社 は、Francesco Casagrande の Vini Caldirola-Sidermec のサブスポンサーとなる契約を結んだ。この会社はルイサゴ(コモ)に本社を置く 繊維処理分野で活動している。
VINI CALDIROLA-SIDERMEC
スポーツドクター Francesco Conconi によって導入されたドーピング物質を使 用した容疑で現在調査中のイタリア運動選手のリストに Marco Pantani も含ま れている。
PANTANI 新しいドーピング告発に巻き込まれる
新聞ラ・プブリカは、フェラーラの裁判所の調査、Pantani が1993年 からEPOの処方を受けていると暴露した。
この新聞はEPOの使用に起因したと疑われる高ヘマトクリット値を示した22人の 運動選手のリストを発行した。
しかしこの裁判所の調査には、更に多くの運動選 手の名前が含まれているが明らかにされていない、しかしフェラーラの裁判所が 没収した電子ファイルには明らかになっている。
裁判所によれば、Conconi はEPO の処方を選手に3年間行っており、当初の彼の目標は通常の医療検査で発見する 方法を模索していた。
裁判所の仮説によると、フェラーラのスポーツ応用生物医 学研究センターで彼の研究を継続していた Conconi は当初の目的を変更し、EPO を彼の患者に対して能力を向上させる目的で施すようになった。
Pantani 文書は、1993, 1994, 1995年の試験が含まれており、ヘマトクリット値 の上昇が見られ、EPOの使用の兆候が明らかになっている。
1998年ジロデイタリ アとツールドフランスで優勝して大きな飛翔を遂げた彼の実績も、今となっては 能力向上物質の使用の疑いによって疑問となった。
Pantani は、1999年のジロデ イタリアで許容値を越えるヘマトクリット値を示したために失格になった。
この 自転車選手は、サッカー選手の Luis Ronaldo の様に証人としてではなく、初め て容疑者としてトリノの裁判所で高ヘマトクリット値で質問される運動選手とな った。
ある運動選手の関与が問われる中、Maurizio Fondriest の様に告発を否定して いるものもいる。
Gianluigi Barsotelli の様にEPOの使用を認めている少数の選 手もいる。: "裁判所に呼ばれれば、私は真実を言うつもりだ。私がフェラーラ に行ったのは Conconi のチームの医師に処方を受けるためだったのは真実だ。 私は選手最後の年1993年にEPOを使った。"
Thanks Frank Gonzalez
東郷幹男@東京中野
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Copyright (C) 1999 Masayuki Kusunose