タイムリー/ノットタイムリー
Vol.20
Giro d'Italia 2001


Contents
お足  1 Sep. 2001 Bicicletta  14 July 2001
Sirmione  7 July 2001 S.Anna di Vinadio  25 June 2001
ドーピング  16 June 2001 Passo Pordoi  1 June 2001
中盤  28 May 2001 予想  22 May 2001
1 Sep. 2001
お足
Tour de Franceが終わり、Vuelta a Espanaが始まろうとしているのに今更Giro d'Italiaでもないですが、どれくらいの費用がかかったか忘れないうちに、資料が散逸しないうちに書き留めておこうと思います。
まあ、自分のための覚え書きみたいなものです。
  航空券 138,960円
  レンタカー   63,300円
  生活費 約44,000円(Lit 800,000)
  Toatl 246,260円

生活費には、キャンプ場代、食費、ガソリン代、宿代が含まれています。
現地で7日間過ごした内、屋根のある宿に泊まったのは1回だけ、後はキャンプ場生活でした。

ルフトハンザ(LH)のマルペンサ空港(ミラノ)到着は十分に早い時間なので、そのままレンタカーを借りて西に向かいLago Maggiore(マッジョーレ湖)の端っこのキャンプ場まで40km、頭と体を車に慣らしながら、イタリア道路事情に慣らしながら、ゆっくりと辿り着きました。
そのキャンプ場では土曜日に食事の営業があり、残してしまうほどの量の夕食にありつけました。Vino(ワイン)1/2リットル付きで Lit 21,500 でしたから1,200円程です。
味の方は???でしたけど、イタリアに於ける「飯屋初日腹一杯食べ残し」という恒例の儀式は、そこで済ますことが出来ました。

イタリアを去る前日もさんざんそこらあたりを車で走り回り、そのキャンプ場が一番便利そうだったので、食事も期待して泊まりました。
食事は土曜日しか提供してないという親父のお言葉に、近くのピザ屋で遅い夕食をとったのですが、キャンプ場と大して変わらない味には少しがっかりしました。今年のピザは全て「外れ」でした。
屋根付きのところで泊まった夜の食事は大満足でしたけど、どっかで旨いピザ食べたかったですわ。..............もっと居たかった。

9月15日から向かうスペインでは、食い物の恨みを晴らしてきます。
2〜3kgは体重増えるでしょう、スペインでは8時か9時から夕食が始まるという「好条件」ですから、「満腹酔っ払い」状態で毎日寝ることは疑いの余地がありません。
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14 July 2001
Bicicletta
スペインは多くの優秀なロード選手を輩出しているのに、その国の中では自転車が目立ちません。KelmeチームのJavier Otxoa とRicardo Otxoa の双子がマラガで事故に遭ってから、Webでスペインの自転車を取り巻く状況が分かってきました。
スペインの英雄Indurainもスペインのサイクリストを取り巻く状況(道路交通)が好ましくない方向へと傾いていると言っているようです。
昨年のVuelta a Espanaでも見物衆以外には、サイクリストをほとんど見かけませんでした。印象深い街と、印象深い風景が街を取り巻くスペインなのに残念なことです。素晴らしいロケーションに、少数の自転車しかいないなんて、寂しいことです。

女子Giroまでもが官憲の介入を受けてしまったイタリア(www.cyclingnews.com)、トスカーナとウンブリアより北の方しか知りませんけど、田舎道や街の中で自転車を見かけないことはありません。
北上するに従ってその数は増えます。街中では、Giro d'Italia見物に集まってくる人々に限らず、老若男女が自転車に乗って走り回っています。
街によって、その人口に対する割合はまちまちですがスペインの街に比べれば、自転車の利用の仕方が明らかに違います。スペインの街では、寂しいことに自転車が少ないですねえ。

日本で自転車を取り巻く状況も厳しく、道路を自転車が2列になって走っていてもドライバーがよけてくれるイタリアがうらやましいですね。
スイスでも、道路には自転車レーンが併設されていいて自転車が優遇されています。そのレーンに車を停めている様なことは、いくらかルーズなイタリア語圏でもまずありません。

第19ステージのゴールBusto ArsizioでMapeiのチームカーへ群がる観客達の中にクラッシックそうな自転車(photo:38kB)がいました。
片手で引っ張ってきてるのは、かなりの年輩のおじさんのようです。
STIをつけた最新のロードレースを連れた若者と、張り合うかのように好奇心いっぱいなのか、チームカーをしげしげと眺めていました。
私は、その自転車のウィングナットのホイールと、プレスで作ったようなリアメカ、これも薄そうなキャリパーブレーキに興味を持ちましたが、しげしげと眺めるという程には未だイタリアに融けていなくて、今から思えば残念でした。後一週間も滞在していて、そんな状況に置かれたなら興味を露わにしげしげと、やっていた事でしょう。
しかし、サドルは............まあ、そんなもんか。
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7 July 2001
Sirmione
個人TT、Sirmioneのインタチェンジ近くの村に辿り着いたのは11時を過ぎていて、Milanoの西Lago Maggiore(マッジョーレ湖)から3時間足らずでした。 スタートのSirmioneまで行きたかったのですが、その村をコースが通過するのでそこから先は進入禁止でした。
のんびりとした雰囲気が漂う個人タイムトライアル、加えてその村自体ものんびりした雰囲気が漂っています。ここや、ここで食い物とビールを探してからゆっくり見物するか...............というのは当然の選択です。
選手達はまとまってやってこないから、ちょっとした坂の頂上でカーブの鼻に座り込み、左手にサンドイッチ、右手にビールを持ち、かじりつきながら、飲みながら、時々は両手をカメラに取り替えて...............のどかです。
うまい具合に頂上にバールがあり、そこでサンドイッチとビールを調達、なんと公衆便所もありました。決して清潔とは言えない公衆便所ですが、イタリアでは在るだけで有り難い存在です。
イタリア人達もたくさん繰り出していましたし、ドイツテレコムチームが出ているせいか、珍しいことにドイツ人の集団もいました。

Lago di Garda(ガルーダ湖)南岸のこのあたりには自転車ルートが設定されているようで、ルートの看板(photo;33kB)もあります。
ブドウ畑をあちらこちらへと縫いながら、自転車で走ると気持ちが良さそうなところです。緩やかなアップダウンを繰り返しながら、小道は縦横無尽に巡らされているようです。
一休みするごとに飲むのは、ここいら界隈だと雰囲気的に白ワインです。きりっと冷えたやつを流し込む.........いいですなあ。
走ってる途中で、にわか雨が来たらどっかの軒先に雨宿りですね。

個人タイムトライアルをやってる選手は、雨宿りなんて出来ません。
すごい雨でした、空は真っ暗で大粒の雨がいつの間にか雹になり、強い風が真新しいアスファルトに折れた枝と葉っぱを運び、大部分の観客はそこらあたりの屋根の下に避難してしまって沿道はまばらな人影。
排水路になった路上の水をかき分け走ってくる選手とヘッドライトがまぶしいサポートカー。(photo;15kB)
一週間しか滞在出来ない私への派手な歓迎のようでした、滅多に見ることが出来ない風景ですから。.................「一週間しか」ということにこだわってしまう、屈折。
この雨でタイムロスを余儀なくされた、TTスペシャリストに分類されている選手もいたはずです。

雨が上がって路面が乾き、折れた枝と葉っぱが減った頃にやって来たFrigo がえらく速かったです。それには、ちょっと驚きました。
もっと驚いたことは、Simoniも速そうに走っていたことです。それでもFrigoにはかなり及ばなかったように感じていましたが、意外にもマリアローザを守っちゃいました。
マリアローザと、ホイールにまつわりついたピンク色の新聞La Gazzetta dello Sportの御利益か?
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25 June 2001
S.Anna di Vinadio
フランス国境まで目と鼻の先にあるS.Anna di Vinadioは標高2.010mです。Vinadioの町(904m)から国道を左に入り、狭くなった道を辿ること14km位でそこに着きます。(photo;30kB)
登るに従って、標高を稼ぐに従って、Passo Pordoiが在るドロミテのようには荒々しくない、アルプスの風景が目の前に開けていきます。
Vinadioで車から降ろされ、その14km位を2本の足で登って行きました。たくさんのイタリア人たちも2本足や自転車で、ワイワイと喋りながら、或いは無言で登っていました。

歩いて4時間くらいかかった私を含む観客たちのその場所での楽しみは、クライマーの自信ある走り、逆転の望みを捨てずに登ってくる総合上位の選手たち、表情と身振りと言葉で観客たちの「押し」を期待する選手、彼らを間近に見て興奮の中で声援を送り、要求されなくても選手を押し、カメラに収める、という彼ら選手たちと共に過ごす数十分間の筈だったのです。
それから、その時が来るまでの野外パーティー(宴会)??も観客たちの楽しみです。
S.Anna di Vinadioのゴール付近にも、どうやって上げたんだろうと思ってしまうような、地ワインのボトルが10本は入ったケースを持ってきている白髪混じりの叔母さん叔父さん連中が居ました。道路閉鎖前にでも車で持ってきたのか、地元の関係車両に積んできたのか...........

それをねえ、その楽しみを奪われてしまったのですから、今から思うと残念至極です。
あれ!柵をトラックに積んでいる、なんか雰囲気がおかしい...........と思いゴール地点になったであろう場所でワンボックスカーからステージのポスターを剥がしている関係者に聞くと、彼は英語でドーピングがらみでステージが中止になり、次のステージもどうなるか分からないと教えてくれました。
その場では「あっ、中止か。しゃあねえなあ。」と怒りなんて感じなかったのです。
1991年からGiro d'Italiaを見始めてから、数えて3度目の待ちぼうけですから、何となく慣れちゃってました。
次のステージの補給所でFassa Bortoloでマッサーをやっている中野氏から、Sanremoのステージが終わってから全チームに対して一斉手入れがあり、それがS.Anna di Vinadioステージの中止という要因だったと聞き、一斉手入れには政治的な思惑が有ったのではないかという考えが浮かんできました。
日本に帰ってきてからWebで情報を仕入れるに従って、ますます「政治的な思惑」という憶測が肥大化してきました。
灰色の選手やチームが有れば、それだけに絞って手入れをすればいいのではないか?
他の選手たちとチームを巻き込む必要があったのか?
UCIはちゃんとドーピングチェックをやっているのに、わざわざ国家権力が介入する必要がどこにあったのか?
最大の山場を潰して、警察権力のご威光をイタリア中に、世界中に見せびらかしてやろうということか?
或る政治勢力による、国家権力の誇示という側面もあったのではないか?..............憶測は肥えてきます。

しかし、ターゲットを決めずに一斉手入れを行ったことは、特定の選手とチームに対する世間一般の悪い憶測を生み出さないという点で、「正解」という側面をもっているようにも思います。
自転車競技全体に対する、悪い憶測は助長されましたけどね。

中止になったのを知っているのか、知らずかイタリア人たちは怒っているふうでもなく、お喋りをしながら或いは無言で、コースを上がったり下がったりしていました。
そして、お土産を背負ったラガッツォ(若者)たち。(photo;31kB)
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16 June 2001
ドーピング
Giro d'Italiaは、ドーピング疑惑とともにあっけなく幕を引いてしまいました。
Pascal Herve(Alexia Alluminio/Fra)とRicardo Forconi(Mercatone Uno/Ita)がEPOが陰性でなかったという判定を受けて、第17ステージを出走できず。
その第17ステージ終了後のSanremoでカラビニエーリ(憲兵)200人という大規模な手入れが全チームに対して行なわれ、総合2位のDario Frigo(Fassa Bortolo/Ita)の禁止薬物所持が発覚し、チームから解雇されてしまいました。
その手入れの対象者は、選手とスタッフを含めて70人余り、参加20チーム中18チームが捜査対象といわれています。
手入れにより、RSR13 という新しい薬も発見されています。
Naco's Bike Page特ダネニュースからの引用
これは、ある種(神経膠腫系)の脳腫瘍の治療に現在実験的に使用されている薬物である。RSR13は、一種の人工ヘモグロビンで、赤血球の数を変動させることなく血液中の酸素量を増やすことができる。錠剤で一度に多量に摂取できるため、静脈注射で投与する分量と同程度が経口的に摂取可能となっている。
一斉手入れでEPOそのものが見つかったという情報は無いようで、検査により使用の有無が判るようになった現在、EPOの時代は終わったかのような感じを受けます。
しかし、HerveやForconiのようにEPO検査が、陰性で無いという判定を受けた事は、未だにバレないと思ってEPOを使い続けて居る選手が確実に居るということでしょう。

力のある選手でも、いや力あればこそ、その力や疲労に対する回復力を増すことができるならば、「薬」に頼ろうとするのはごく普通の心理で、アンフェア、或いは禁止されているという理由で、「禁止薬物」に頼るのを控えているにすぎないと思います。
もし仮に、「禁止薬物」のいくつかがOKとなれば個人の信条、宗教上の信条に抵触しない限り、自分のパフォーマンスを高めるために大手を振って使い始めることでしょう。
どうせいくら禁止してもドーピングは後を絶たないのだから、健康と生命に自分で責任を持つ事ができるならば、ドーピングを認めてしまえと言ってみたくなります。でもドーピングにより何らかの健康を害する副作用が起きれば、その選手の周りの人々が嘆き悲しみ、自転車競技そのものにも非難の矛先を向けることもあるでしょうね。

ドーピング検査では使用の痕跡を見いだせない、現物を押さえないと分からないRSR13のような薬物に手を出すのは、今後も増えることでしょう。
Fassa Bortolo チームのように内部規定を設けているに関わらず薬物を所持していたFrigoの例もありますから。

どのチームも表面上は薬物使用を認めてはいません。
しかし、Fassa Bortoloのように内部規定で厳格に使用を禁じているチームが他に存在しているのかは分かりません。
もしかしたら、大多数のチームは選手の自己判断、自己規制に任しているのかもしれません。で、ドーピング事実が分かったら、即クビ..........てところでしょうか。

Fassa Bortoloの内部規定での薬物使用禁止については、チームでメカニックをされている永井氏のwebページ(Meccanico KOKI)に載っています。(下のリンクから辿れます。)
ドーピングを認めないという方針の元、ちゃんとした内部規約を作りそれを遵守するようにサインを求め、それに反したら即刻クビというFassa Bortoloの監督のやり方、厳しいところもあるかもしれませんがすっきりしていていいと思います。

Giro d'Italia最後にして最高の見せ場と思って、登って行った第18ステージのS.Anna di Vinadio、前夜のカラビニエーリによる手入れのあおりを食って選手たちは登ってきませんでした。
Naco's Bike Page
特ダネニュース
レース便り
Meccanico KOKI
第17ステージ
第19ステージ
第20ステージ
その後

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1 June 2001
Passo Pordoi
第12ステージが終って、Dario Frigo (Fassa Bortolo)にGilberto Simoni (Lampre-Daikin) が1秒差に迫ってきました。
ここまでは、淡々と進んできた感のあるGiro d'Italia です。
今日のPasso Pordoi のステージで、FrigoとSimoniの総合順位は逆転している事でしょうね。
総合1位に踊りでるのはSimoni?、そんな簡単な図式ではない事でしょうし、簡単な図式に陥らないことを望みます。そんなんだったら面白くないですからね。
それでは誰が?、私としては、ヒルクライマーとしての才能No.1のPantani を置きます。Simoniは次の位置、3番目に私の本命Di Luca を置きましょう。
Pantani の才能に大きな陰りがない事と、メンタル的な問題がない事も望んでいます。

アタックをかける所は、Giro d'Italia屈指の難所Marmolada、或はゴールのPasso Pordoi か、何処でもいいですねえ、ヒルクライマーたちのアタックの応酬を期待出来ます。
今日は素晴らしいステージになるでしょうね、それを現地で見れない事は残念です。

Fassa Bortolo チームは上位3選手に12−24、あとは12−25のフリーホイールをつけ、下り坂の為に54のフロントギアを何人かにつけたそうです。
ジロ第12ステージ.......Meccanico KOKI

私が結果を知るのは、明日フランクフルト空港あたりでしょうか、事によるとミラノのマルペンサ空港に着いてからかも?
明日、首尾よく関空でルフトハンザに乗れば、第15ステージのSirmione Terme - Salo(ITT) を見る事が出来ます。
そして、Passo Pordoiステージで決定的な差がついていなければ、第18ステージのImperia - S. Anna Di Vinadio(標高差合計5.257m) でマリアローザの行方の一端をかいま見る事が出来るでしょう、楽しみです。
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28 May 2001
中盤
第8ステージが終了して、トップ20位までに有力選手が名前を連ねるようになりました。
1位のDario Frigo(Fassa Bortolo) は、チームエースのFrancesco Casagrandeがまさかのリタイヤした後に、強力なアシスト達によって僅かなタイム差を守り抜いています。
しかし、下りのテクニックが危なっかしい彼は、そのまますんなりとその地位に居られるとは思われません。彼自身も言っているように、いずれは別の有力選手にマリアローザを明け渡すでしょうね。
ジロ第4ステージ.......Meccanico KOKI

20位のManuel Beltran Martinez (Mapei-Quick Step)はDario Frigoに1分37秒差。
34位のPaolo Savoldelli (Saeco Macchine Per Caffe)は3分23秒差、Savoldelli迄は十分にマリアローザの可能性があると思いますが、彼Savoldelliはあまりよいアシストを得ていないようです。
ジロ第4ステージ.......Meccanico KOKI
Cippoliniも1勝挙げた事だし、Savoldelliにもアシストを回してやって欲しいですね、まだどうにか可能性にぶら下がってるから。

48秒遅れのDanilo Di Luca(Cantina Tollo)がどこかでマリローザを得て、ダークホース(かつ本命)にあげた私を嬉しがらせてくれることを望んでいます。
嬉しがるのは、私だけではないでしょうね。

Team Colpack-Astro の野寺選手は、1時間05分51秒遅れの総合151位で、後ろに8人もいます。何とかPordoiのステージまでは、持ち堪えてもらいたいですね。母親が観戦ツアーに参加する? という情報があります。
Milano で総合記録に残っていたら凄い事ですが、そこまで期待するのは酷??
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22 May 2001
予想
なんと、第1ステージで優勝候補のFrancesco Casagrande(Fassa Bortolo)が落車による手首骨折でリタイヤしてしまいました。
VeloChouchouLe Journal
Naco's Bicycle Pageレース便り
Casagrandeがチームの強力アシスト達の協力を得て、優勝候補の最右翼になるだろうと思っていただけに残念です。
総合優勝予想が少し楽になりました。(ごめんなさい、永井さんと中野さん)
Pantaniがメンタル的に持ち応えたならば、彼が総合優勝の本命でありダークホースだと思います。これは、かなり思い入れもあります。薬なんて、糞くらえです。
たぶん肉体的な備えは、彼なりに整えてGiro d'Italiaに臨んでいる事でしょう。
次の候補として強力なアシストを得られるStefano Garzelli、ただなんとなく彼は少し線が細いように思いますから、Gilberto Simoniなんかはどうでしょう?
Simoniが表彰台の一角を占める事は間違いないし、今年もまたクライマーとしての能力は伸びそうに思います。しかし、Pantaniも走っている事ですし真中に立つ事は未だのように感じます。

気持ちの良い、小気味のいい走りをする若手にPantaniと共にダークホースを努めてもらいましょうか。
ダークホースだから誰か分かりません。強いてあげるならば、Danilo Di Luca(Cantina Tollo)ですかねえ、しかし彼はダークホースというよりも数年後を踏み倒して本命かなと。
まあ、私の予想は大抵は外れますから、無駄なもの読ましてしまいました。貴重な接続料金と時間を使わしてしまって申し訳ありません、失礼しました。

Pantaniはダークホース??......落車、黒猫、薬(疑惑?)などありますからねえ。
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