タイムリー/ノットタイムリー
Vol.19
Inverno....Primavera 2001


Contents
Giro d'Italiaへ  21 May 2001
1dayレース  30 Apr. 2001 5.257m  19 Apr. 2001
Otxoaの事故  7 Mar. 2001新世紀  7 Jan. 2001
20 May 2001
Giro d'Italiaへ
6日間のItalia(往復を含めると9日間)のために航空券、レンタカーを手配しました。
期間は、6月2日(土)から10日(日)です。第15ステージ(3日)のSirmione Terme - Saloの個人タイムトライアルを手始めに、第19ステージ(8日)のAlba - Busto Arsizioまでという、かなり縮小版となってしまいました。
残念ですけど、しゃあないかなあと.........でもねえ、一週間くらいでイタリア生活にゆっくり慣らしてそれから、観光とキャンプ生活と共にGiro d'Italiaを楽しむという優雅な日々を過ごせなくなったのは大変残念な事です。...........いや、まだまだあの方法が.........一般的にいえば、あぶない誘惑です。

さて、航空券ですが土曜日と日曜日に出国する、つまり飛行機に乗ろうとしたら割高になります。その額は5000円から1万円くらいです。
航空会社はルフトハンザ(LH)を使う事にしました。138,960円がその割増し料金と、イタリアへの入国税か出国税だかを含めた料金です。
関空を9:35に飛び立つという今までに比べれば、えらく早い時間ですがミラノのマルペンサ空港には17:20に到着します。
パスポートコントロールは、途中寄港地のフランクフルトで済んでると思いますから、レンタカーの手続きにびっくりするほど手間取らなければ、明るい内にその日の宿を決める事が出来る皮算用です。

レンタカーですが、ハーツ(Hertz)とエイビス(AVIS)を比較しました。
エアコン付きという条件を出すと、エイビス(Avis)はリクエストできるけど、確約は出来ないということでした。
ハーツ(Hertz)はエアコン付きを確約できるという事で、そちらにしました。料金はクレジットカード会社からの明細書が来たら、タイムリー/ノットタイムリーVol.20に書きます。

Giro d'Italiaが始まりました。プロローグはLottoチームのベルギー人Rik Verbruggheが取りました。
7.5kmを平均時速58.895km/hというとんでもないスピードで走り抜いています。
このステージのコースは海沿いなので、追い風だったのかもしれません。それにしても凄いスピードです。

今日は150kmほど走りましたが、暑かったですわ。夜になっても窓を開けてないと、暑くて辛いです。日焼けのせいかな??
もう夏なので、このページは終り、Vol.20でGiro d'Italiaの事をうだうだとアップしていきます。
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30 Apr. 2001
1dayレース
私はヨーロッパのプロロード選手が走る1day レースを未だ見た事がありません。
いや、ワールドカップなら一度だけ見ています。そう、11番目のワールドカップとなった宇都宮には、ドライバーの一人としてはるばると日本海ルートを使って見に行っています。
ドライバーとしては、往路しか役に立っていないのが同行者達には申し訳なかったです。帰りは酔っ払ってて、ほとんど寝てましたから。

宇都宮では、周回をこなす選手達を「あっ、来た。」「あっ、また来た。」とただなんとなく眺めているという状況の中に自分を置いている事に気づきました。傍観者として周回を眺めていました。

レースを見るのに、一点を決めて周りのギャラリーをウオッチングしながら、その日一度きりしか遭遇できない選手達を待つというスタイルが私には定着しています。
異なるカルチャーの中に居ると、ギャラリーの一挙一動が新鮮であったり、「あっ、やっぱりそう動いたか。」と自分なりに納得したりと退屈しません。
選手達が近づいてくるに従って、高揚感が周りから伝わってきます。やがては自分自身も高揚感に捕らわれていることに気づきます。
冷静な傍観者を自分に課してはいても、カメラのファインダーを覗き続けることによっても、最後まで冷静な傍観者であり続ける事はできません。
唐突に先頭グループが現れると、冷静な傍観者は少し揺らぎ、その場が山岳であれば3つ目のグループが現れるあたりで、冷静な傍観者から高揚した傍観者に変わってしまいます。

ステージレースなら、毎日でも選手達の走っている様子を見る事ができますが、一度きりの選手達との遭遇が1dayレースです。
けっして安くはない航空券を買ってヨーロッパ行くなら、ステージレースを見に行こうというのが今までの、そして今の考えですが、ワールドカップに代表される1day レースの観客と選手を見たくなっています。
しかし、選手達との一度きりの遭遇のためにヨーロッパに行く事には、当然ながらためらいがあります。
一度ヨーロッパに渡ったからには、ワールドカップの5つくらいは見て、3大ツールも全て見たいという欲望にかられます。
......................危ない、あぶない..................しかし、傾きつつあります。
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19 Apr. 2001
5.257m
5257mの総登攀標高差で総距離234kmを走り、1000m以下、1000m級、2000m級がそれぞれ2つずつで合計6つの峠、Cima Coppi(その年の最高標高地点)のColle Fauniera は標高2500mで登攀標高差1370m、山頂ゴールのS.Anna di Vinadio は標高2010mで登攀標高差1106m、という山岳ステージ好きにはこたえられないスペックのGiro d'Italiaの第18ステージ。

5257m!の総登攀標高差.......とても信じられるような数字ではありません。
富士山を軽くクリアーしています。電卓で計算して「まともじゃないよ。」と思わずうなってしまいました。
6月7日にそのタフなステージが、選手たちを待ち構えています。
タフな選手たちがバトルを繰り広げ、総合成績に影響を与える最後のステージとなるのか、「なあ、ゆっくり行こうや。」となるか。希望としてはバトルの方ですね。
平均スピードがどれくらいになるのかも興味のあるところです。
Giro d'Italia が始まるまでにはLa Gazzeta dello SportIl Giro d'Italia かenagyのサイトに、平均速度に対するタイムテーブルがアップされると思います。

今年のGiro d'Italia はあまり好ましくない事情により、私には現地で7日間しか余裕がありません。
それじゃぁと、お祭りのPordoiの第13ステージと5257mの第18ステージを秤にかけて、5257mが重いという結論に達し、第18ステージをメインに据えて見に行く予定です。
航空券などの手配はこれからです。航空券、レンタカーなどが決定したら、このページにアップします。参考になればいいのですが。
参考:Giro d'Italia 2001 独断ガイド_18tappa

5.257m という数字は必ずしも正しいとは限りません。
どこを登り始めと取るかで、登攀標高差は変りますから。
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7 Mar. 2001
Otxoaの事故
スペインでサイクリストを見たのは、Vuelta a Espanaの一行とそれを応援しに来るサイクリストくらいでした。
例外は、海のスイスといわれている緑ゆたかでリアス式の複雑な地形を持つ北部海岸地帯でした。そこでは、数人のサイクリストを見ました。
自転車ロードーレース界を代表するチームと、選手を擁するスペインにしてはあまりに少ないサイクリスト。
それは、あまりに暑くて乾燥した土地のせいだと思っていました。

KelmeチームのJavier Otxoa とRicardo Otxoa の双子が不幸にも当事者となってしまった事故の様子が判ってくるに従って、道路で見かけた数少ないサイクリストが置かれている厳しい状況は、気候だけのせいだけでもない事が理解できるようになりました。
一車線が日本に比べて1.5倍くらいはありそうなスペインの道路、山岳や海岸線以外では見通しも良くて「車」で快適に走れます。ハンドルの上で地図を広げてチラチラと位置を確認していても、何ら問題なく「車」で走れます。
初めて訪れる外国人であっても、大都会以外では迷う事が少ない道路網........町と町を結ぶ道路にバリエーションは望めません........町の間の道路は大抵1、2本です。
自動車は100km/hぐらいで走っています。道路脇に立っていると自動車が起こす風圧に、おもわずたじろいでしまいます。

そんな道路でサイクリストは、自動車と共存しなければなりません。
年間100人ものスペインのサイクリストが交通事故で、死亡しているという事です。
日本でもそうであるように、自動車のハンドルを握った途端に傲慢になる人間がいます........私も情けない事に、状況によってはそうなってしまいます。
自転車競技がスポーツとしてのステイタスを持っているスペインでも「おまえら、自転車は邪魔だよ。」とどなり散らす輩がいるようで、このあたりは日本と同じような状況のようです..........私は通勤途中で、路線バスに幅寄せとしか言いようのないような行為を受けた事があります。


Naco's Bicycle Page特ダネ・ニュースからの引用です。
2月15日16:15
50cmの路肩を走行していた兄弟に後ろから来たワインレッドのボルボが2人に追突。彼らを轢いたボルボは衝撃で大破。
Ricardo Otxoa が死亡、Javier Otxoaは危篤状態。ボルボの運転手はマラガ スポーツ大学の副学長。
2月24日
トンコフのコメント「オチョアの事故には強い衝撃を受けている。特に家族は、僕がトレーニングをしに外に出るのを怖がってしまうようになった。僕自身は平気だけど、3歳の息子がサイクリストになりたいと言い出したら、絶対に止めるように説得するつもりだ。」
2月25日
サイクリストたちが、スペインの大都市マドリッド、バルセロナ、バレンシアで道路の安全性を求めてデモを行った。マドリッドでは、7キロの道をプロ、アマのサイクリストたち、サッカー レアルマドリッドの選手たち、スペインのアスナール政権反対派の人々が行進した。
スペインでは昨年1年間で2500人のサイクリストが交通事故で怪我を負い、100人のサイクリストが事故死している。デルガドによると、政府もこの問題には関心を示しているという。
2月28日
現在入院中のハビエル オチョア、現在肺炎を併発し、予断を許さない状況に。
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2000年に活躍した有名どころが移籍してしまい、「新生」といってもいいKelmeで躍進が期待されていたJavier Otxoa(ハビエル オチョア)の意識が戻ってくれればいいのですが。
運転手は居眠りをしていたような疑いが濃厚です。まったく、いやな出来事です。

車を運転する時は傲慢にならないように、居眠りをしないようにと自分を戒めていく事とします。
自転車に乗る時は車の挙動を信用しないように、車の前を横切る時は運転手の目を見て、視線を離さないように、脅しをかけるくらいの気合いが必要でしょうか。
「交通戦争」ですか?あーあ、嫌になっちゃいます。

cyclingteams.comkelmeチーム
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7 Jan. 2001
新世紀
新世紀というやつになってしまいました。
ヨーロッパのロードレースが、今年も面白くなりそうです。
それは、Richard Virenque が2月から9ヶ月間の出場停止処分をスイスの連盟から受けたからでもなく。
Marco Pantani が裁判の結末いかんではレースから遠ざかるをえないかも、という危惧からでもなく。
Pavel TonkovとAlex ZulleそしてLaurent Jarabertがチームを移るという事からでもなく。
小粒ながらも光を放ち始めたMariano Piccoli とGilberto Simoniがステージレースの主役を勤めていたLampreチームに、お騒がせのVDBが入るという事からでもなく。
日本人スタッフが引続き在籍するFassa Bortoro に、2000年のGiro d'Italiaで惜しくも2位になってしまったFrancesco Casagrande が移籍するという事からでもなく。
そのGiro d'Italia で「第二の男」から一つ位置が上がり、イタリア最大のチームに「ステージレースのエース」としてピックアップされたStefano Garzelli のせいでもなく。
国内で何やってんだ、と言いたくなるシマノチームから阿部と野寺がイタリアのディビジョン2チームに入るという事からでもなく。
............いや、それら全部が理由で、今年は面白くなりそうです。

Virenque はなぜもっと早く、ドーピングの事実を認めなかったのでしょうか。
力がピークだったと思われるその時期を、出場停止処分で棒に振りたくなかった。うやむやに収まることを期待していた、などと勘ぐっています。
1998年のTour de France でドーピングを認めていれば、「ダーティー・ビランク」というイメージが復活することは無かったでしょう。
そう、涙ながらに「やっていました。」と言っておけばよかったのです。
といっても後の祭、今シーズンの出番が断たれたVirenque は、このままずるずるっと表舞台から去っていく可能性もあります。
私としては、2002年に不死鳥のごとく復活することを望んでいます。
2000年 Vuelta a Espana 第10ステージのゴールLa Molina の宿で出会ったVirenqueの追っかけ叔母さん達のためにも。

Marco Pantani もったいないですねえ、ずば抜けたクライマーとしての才能、それを出し切らないままに、彼もまた表舞台から去って行くような気がします。
危惧でなければ良いのですが、しょうもない事故を起こすことが多いですからねえ、今年もまたなんかしょうもない事故...............主にエンジン付の車輪で...............を起こすような?
再び黒猫が視界を遮ったりすればもういけません、神がかりとでも言うべきでしょう。一気にGiro とTourのダブルツールを制したって事になるかも?
まあ、その前に裁判関連を切り抜けなけりゃあ、どうしようもないですけど。

Pavel Tonkov、Alex Zulle、Laurent Jarabert.........陰りが見え始めたエース達、Giro とVuelta ではリーダージャージをミラノ、マドリッドまで着続けた彼らはTourのパリではその機会を逃しています。Tonkov にいたってはかすりもしていません。
新天地で彼らはどの様な具合になるのか? しぼんでいってしまうのか? かつての輝きを取り戻すのか? 超一流の能力を持つ彼らには、能力のみでなく運も呼び込んで輝きを取り戻して貰いたいです。
Pavel Tonkov には思い入れもあります、是非にも再び輝いて貰いたいです。
1998年のGiro d'Italia 終盤の3連続山岳ステージで、山岳の天才Pantaniに果敢に挑み続けたTonkov の姿は忘れられません。
この3人の中では山岳とタイムトライアルの能力をバランス良く併せ持っているのがTonkov だと思います。

Mariano Piccoli とGilberto Simoni は華々しく表舞台に登場したような印象を持っていません。
彼らは、それぞれの才能を着実に伸ばしてきました。その才能はバランス良くもなく、ずば抜けているわけでもなく、もう少しでポテンシャルの天井に届きそうな予感がします。
バランス良くもなく?..........いや、Piccoli は良いバランスを持っているようです。Giro で2度も山岳賞を取っているのですから。
彼の素晴らしいところは、毎日のように逃げ集団に入っている事。そして、スプリント力にものいわせてではなく頭脳的にゴールを得る事です。
Simoni の山岳スペシャリストぶりは、2000年 Vuelta の最難所である最大勾配 23.5%のAlto de L'Angliru で見せてくれました。
L'Angliru の激坂で イタリア人Nicola Miceli は、ヤケクソにも見えるウイリーphoto(21kB)を我々ギャラリーに見せてくれました。
そんな激坂をSimoni が一人で上がって来たのです。まわりの観客は、彼の名前を知らずに「イタリア人」と言っていました。
Lampreチームに、VDBが加入........どうなる事やら、類稀なると云われている潜在能力を開化させるために走る事に集中するのでしょうか。
また、しょうもないトラブルを引き起こすような予感が.........外れればいいのですが。
忘れていました、1998年の世界選手権チャンピオンそして2000年Tour de SuisseチャンピオンであるOscar Camenzind もLampreチームに居ます。ステージレース、クラッシックレース共にいけそうな面白いチームになりました。

Francesco Casagrande ってイタリアの観客達が強いと言ってる事以外に、どんな選手なのか知りませんでした。バイシクルクラブ誌に砂田氏が「勝つためだけに生活をしている。」というような彼のスタイルを書いていました。
勝つための能力があると自覚すれば、それを達成する最短距離は余分なものをそぎ落す事、それが分かっていてもなかなか出来るものではありません。 それを、彼はやっているようです。
たぶんFrancesco Casagrande は、Fassa Bortoro チームのGiancarlo Ferretti 監督好みの選手なのでしょう。
若手も、ステージレースで良い総合成績をあげています。今年も台風の目となるであろうFassa Bortoro チームに注目です。
スポンサーはMapei とビジネスでも競合するという事ですが、チーム力も2000年において十分張り合える状況でした。グランツールでは、すでにMapei を上回っていたと思います。
後は最終ステージのゴールラインで、リーダージャージを誰かが着ている事ですね。

シマノレーシングの阿部と野寺がイタリアのColpack チームに入るようです。
Division2 のチームですが、Danilo Di Luca のCantina Tollo チームもDivision2 です。
心配しなくていいです。(意味不明....)
どういういきさつか分かりませんが、シマノがらみなのでしょうね。
何年か、継続してイタリアで走ってもらいたいし、走らせる機会を持たしてもらいたいですね。シマノ次第なのでしょうか?
彼らがイタリアに行くのは、素晴らしい事です。能力のある選手が、日本の狭いフィールドで走るより数倍いい事だと思います。
サッカーはヨーロッパかラテンアメリカで、相撲は日本で、野球は日本で、ベースボールはアメリカで、自転車レースはヨーロッパで、やっぱり本場でやらなきゃあだめですよ。
日本だけでやってたら、レース真似ごとだけに終っちゃいます。その根底にあるスピリッツを感じ、あわよくばそれを得るためにはヨーロッパで走ることです。

観客がロードレースの何たるかを良く知っていて、皆で楽しむ雰囲気がイタリアにはあります。
それは他のヨーロッパの国にもありますが、イタリアではストレートにそれを出してきます。語学に堪能でなくても雰囲気で分かります。
ロードレースが分かっている国で走る事が出来る阿部と野寺は、幸せだと思います。
............私はその場に1年に1度しか訪れないので、ロードレースのスピリッツが何たるかを得ていません。(得る事ができるのか?)
チームの情報はhttp://www.cycling4all.com/の Teams 2001
選手の情報はhttp://www.cyclingteams.com/riders.lasso
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