タイムリー/ノットタイムリー
Vol.1
Giro d'Italia 1997


last update:14 June 1997


Contents
9 June 1997 6 June 1997 5 June 1997 2 June 1997
1 June 1997 31 May 1997 30 May 1997

14 June 1997 - Giro d'Italia -
Giro d'Italiaに行く度に疑問がわいてきます。 FIATを運転してくるBartaliは本物だろうか?
おばちゃん、おっちゃんが「ジーノ」「ジーノ」と叫んでるから本物やろけど。
いったい幾つや?
全ステージついて廻ってると言う噂もあります。

1996年のBICISPORT別冊LA GUIDA DEL GIRO'96の巻末に近いところに、1909年からのMaglia rosa(総合1位)から5位までの一覧が載っています。 それによると、Bartaliは1936年に初めてのMaglia rosaを獲って翌1937年にも得ています。第二次世界大戦後の1946年にも3回目の、そして最後のMaglia rosa。 Bartaliの名前は1953年の4位を最後にLA GUIDA DEL GIRO'96から消えています。 その間17年彼はGiro d'Italiaの舞台に於いて、一流であり続けました。いや超一流と言うべきでしょう。

初めてMaglia rosaを着た1936年、彼は22才。
La Gazzetta dello Sportに1996年もGino Bartaliのコメントが載っていました。
コメントを載せたGino BartaliがFIATに乗ったBartali、3回Maglia rosaを得たBartaliと同一人物ならば、今年83才。
今年、1997年もcicli Bartaliと横書きしたFIATを運転して、現れたのでしょうか?

隣には誰も乗ってないことが多いです。
私は、もし彼と気があったら、「清水の舞台」から飛び降りても横に乗ります。まぁ言葉と言う壁でそういう状況には、こちらが望んでもならないでしょうが。しかし、万が一にもそういう機会が訪れたら、たいした躊躇もなく横に乗ります。
だって、80過ぎのItalianoの運転は興味しんしんですもの!
そして、その年になってもGiro d'Italiaと共に三週間を過ごすのは、枯れることのない自転車レースへの情熱によるものと私は確信しています。その情熱のほんの端っしこにでも触れてみたいものです。

9 June 1997 - Giro d'Italia -
土曜、日曜に九州へ遊びに行ってる間に、決まっちゃいました。あたりまえか。
日曜日は、嵐でした。梅雨初めの大雨なんてあまり聞きません。今年はどうなっちゃたんでしょう。
Giro d'Italiaは20atappaから22atappaにかけて嵐にも突入せず。何となく穏やかに終わったようです。

ここでまたお詫びと訂正です。
私は、Windows95上のワープロソフトでTAGを一生懸命こねくり回して、このホームページを作っています。巷でささやかれてる、いや半ば公然とその芋ぶりを指摘されてるWindows95のせいか度々、システムがフリーズします。凍結します。48MBのRAMでもだめです。アプリケーションが何らかの理由、身に覚えのない理由で、強制終了させられます。強制終了は癖になります。私の周りでは癖になったら、再インストールするしかないと噂されてます。まあそれはそれでしょうがないですかねえ、初期投資の小さいシステムですから。
一部の文字 - たぶん記号 - が化けます。MACで化けてると助言を受けました。UNIXなど非MicroSoft系、非PC98系でも化けてそうです。申し訳有りません。
やばそうなところは直していきます。今日このコラムは直したつもりです。どうしようもないところがあったら 教えて下さい。

ということで、また再びGiro d'Italia。
-- 何が -- ということで -- なのかようわからんなあ。
たいした波乱もなく、終わっちゃいました。Pantani、Zaina、Leblanc達が故あり途中下車した後、超急坂のMortiroloでどんなドラマが有ったのか、無かったのか。
Webの上っ面だけ見れば、GottiがMortiroloのステージでほんの少しTonkovに花を持たし、めでたしめでたし。
イタリア人達の喜びは、RAIのサイトにおける学校の掲示板によく現れています。幾つものピンクの紙の上にGottiの文字。垂れ幕にも。
他のサイトの写真もこんなもんじゃないかと思います。これからチェックしてみます。
Cipollini-saeco-ITAが最終ステージで勝ったのには驚きました。Cipolliniが最終ステージまでよく残ってたものだと。彼は1996年、Dolomiteのみか直前の個人タイムトライアルからも敵前逃亡。Gottiがmaglia rosa - 総合1位のジャージを着たあたりで気合いを入れ直したのかなあ。dolomiteのステージは、スプリンター仲間と和気あいあいとこなしたことでしょう。彼らが道一杯に広がって、登ってくるさまは壮観です。是非一度あなたの目で見て下さい。

6 June 1997 - Giro d'Italia -
19atappa - 6月5日の山岳ステージで前日まで総合成績3、4位だったLeblancとSheferがGiro d'Italiaから去っていきました。
そしてTonkovは1分程失い、Gottiから総合成績で1分32秒遅れとなってしまいました。
これでまずGottiに決まり・・・・・となってしまうのでしょうか?
このままいけば1991年のChioccioli以来のmaglia rosa - 総合1位のジャージを着たイタリア人選手となります。そうなればイタリア人達は大喜び。
しかしMIlanoに凱旋する前に21atappa - 6月7日のPasso del Moltirolo-1852mが待ちかまえています。Tonkovも山岳には強いですから、油断はできません。
Passo del Moltiroloにはめちゃくちゃきつい勾配があります。そこまでに何カ所も峠を越えてから向かうので、消耗している選手達には大変な負荷。1、2分くらいの差は取り返すことも可能でしょう。まぁGottiは1996年にPasso del Moltiroloを通過するステージで1位になっているので、だいじょうぶでしょう。Tonkovはその時2位、それによってmaglia rosaも取り戻しています。・・・・・んーどっちへ転ぶでしょうか?

5 June 1997 - Giro d'Italia -
18atappa - 6月4日は坊ちゃん、嬢ちゃん、おっちゃんetc.のお待ちかね、顔見世興行のBaselga di Pine'-Cavalese 40km個人タイムトライアル。
しかしGotti-saeco-ITAとTonkov-mapei-RUSの1、2コンビを脅かすほどには誰もタイムを叩き出せず。彼ら二人はタイムトライアルに強いわけでもないのにねぇ。
まぁ仕方ないですかねぇ、距離が40kmくらいじゃ。ステージ2位のBerzin-batik-RUSは圏外だし、Tonkovより良いタイムを出している連中は、トップのGottiから遅れが10分以上の連中ばかりで、まず問題外。
あっステージ1位のGontchar-aki-UKRが総合7位で7分42秒遅れでした。彼はどういう選手なのか判りませんがBerzinより速いから強いのでしょう。
総合3位のLeblanc-polti-FRAが、Gottiから4分6秒遅れとこのステージで1分程失っていました。彼はタイムトライアルに弱いのかなぁ・・・・と思っていたら、 Energyのサイトに、 落車している画像がありました。8つ有る画像の内Shefer-asics-KAZのが2つもありました。5分19秒遅れの総合4位とZainaがGiroを去った後、asicsチームのエースとして頑張っているようです。

さて19atappa - 6月5日は、Giro名所のPasso Pordoi(2239m)を通過する山岳ステージ。プロフィールマップを見ると、7つくらい山を越えるようです。どんな結果になるのか楽しみですねぇ。
Passo Pordoiは今年のcima coppi-Giro d'Italiaで最も標高が高い地点-。毎年何万人もの観客が集まって来ます。ことに1996年のようにそこがゴール地点となるようならば、大変なものです。

2 June 1997 - Giro d'Italia -
15atappa - 6月1日は何も総合成績に及ぼさず。・・・・・・といっても疲れ果てた、或いは満身創痍のアシストが一人、二人とGiroを去っていきました。
此処でお詫びと訂正です。
昨日1 June 1997 - Giro d'Italia - 17atappaの個人タイムトライアルからが要注意です。 とやってしまいましたが、正しくは18atappaの個人タイムトライアル・・・・ です。
なんせRAIのサイトを5月29日に覗いたときに、17atappaと18atappaが同じ距離の40kmになってましたから間違えたのだと思います。・・・・まぁ適量のアルコールを体内注入していますから、そのせいかもしれません。
そのRAIのプロフィールマップ入りのステージ一覧はLe tappeにあります。
tappa /tappe  新伊和辞典 - 白水社 -
tappa:女性名詞
1.旅行者の休憩所、宿場
2.両宿営地間の距離、行程
3.比喩的段階
語源は以上のようです。Giroでどのような意味をなすのか判りません。
tappe:複数形

1 June 1997 - Giro d'Italia -
「暗」の次は「明」。「嘆き」の次は「歓喜」。
ちょっと大げさですが、イタリア人達は喜んでることでしょう。Pantani、Zainaと次々に戦列を離れていって、今年もmaglia rosa - 総合一位は・・・・・と内心穏やかならざるところへ、Ivan Gottiの14atappでの勝利。maglia rosaもついでに奪い取り「イタリア人強い」と面目躍如。
総合成績でTonkovに前日41秒差の2位が、14atapp(5月31日)では逆に51秒差を付けてしまいました。そして3位のLeblancには3分2秒の差。イタリア人にとっては実に喜ばしいこと。
15から17atappaはタイム差に若干の変化はあったとしても、このままの順位で推移するでしょう。17atappaの個人タイムトライアルからが要注意です。そして19から21atappaのドロミテ、此処で死闘が繰り広げられるでしょう。タイムトライアルでふり落とされるのは誰か?誰もふるい落とされないのか?

31 May 1997 - Giro d'Italia -
5月29日の12atappa - 第12ステージでは、前日までTonkovに4分の位置のZainaが16分17秒と大きく遅れ総合15位から82位Total20分30秒位に大後退。そして13etappaはスタートラインに現れなかったようです。
彼も山岳ステージを目前にして、Giroの舞台から降りてしまいました。
イタリア人の嘆きは深まるばかりでしょう。

ところで12atappaのスタート地点La Speziaの近くに、Cinque Terreと呼ばれる山肌にへばりついた一連の漁村地帯があります。
幹線道路から離れていて、また細い道路しか通じてないものですから、イタリア国鉄を使ってヨーロッパ人達は訪れています。
列車はトンネルの中で時間調整か、ちょっと休んでいるのか、よく止まります。また止まったかと思うと、そこが駅だったりします。
小さな漁村はヨーロッパ各国(といってもドイツ人かオランダ人が多い)からの観光客で溢れています。しかしさすがヨーロッパ、ばかげた音楽をスピーカーでガンガンに流すといった事はありません。まァあたりまえのことですが。・・・・そして村人の生活も観光客に振り回されることは、無いように見えます。・・・・しっかり稼いでるようです。
私は何となくその村が気に入って、Ristranteで昼食にvinoを一本空けてしまい、いい気分になって駅でウトウト。

30 May 1997 ―Giro d'Italia ―
山岳ステージが始まる前にPantaniがいなくなっちゃいました。 1週間前の5月24日、8atappa(第8ステージ)のゴール手前約20kmで落車に巻き込まれたようです。私のお粗末な語学力ではそれ以上理解できませんでしたが、とにかくGiro d'Italiaからバイバイしたことは確かなようです。 RAIのサイトに2日間に渡って画像付きで載っていました。Tonkovから1分半の好位置につけてたのになんという不運、イタリア人達は残念がっていることでしょう。
これからという時に、本当に不運。彼はやけに落車が多い、このまま落車常習者として歩む・・・じゃなかった、走るのでしょうか?
あのスキンヘッドでアタックをかける姿を一目見たいですねエ。来年こそはドロミテで、グランパラディソで、或いはアルプスで見せ場を作ってもらいたいものです。

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