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21atappa(SkySport3) 18 Oct. 1999 | 17atappaまで(SkySport3) 4 Oct. 1999 |
9atappa(SkySport3) 10 Sep. 1999 | 8atappa(SkySport3) 9 Sep. 1999 |
1〜5atappa(SkySport3) 3 Sep. 1999 | Giro d'Italia決算 11 August 1999 |
生 活 5 July 1999 | Rifornimento 29 June 1999 |
Alpe di Pampeago 21 June 1999 | Colle Fauniera 18 June 1999 |
Gran Sasso d'Italia 14 June 1999 | Passo del Mortirolo 12 June 1999 |
- 18 Oct. 1999
- ■21atappa(SkySport3)
爺さんたちが軽やかに駆けて、選手たちに励ましと水を浴びせかけています。
爺さんがさまになっています。
黙って水を浴びる。あるいは、拒絶する選手たち。
水を浴びせかけるのは、中年以降の男たちです。
Passo Gavia(2621m)、Passo del Mortirolo(1852m)と苦しい戦いの後、総合上位の選手たちは、2つのグループに分かれてApricaの周回コースに入りました。
総合1位のPaolo Savoldelli (Saeco/Ita)を含む後ろのグループでは、誰も前との差を詰めようとしていないかのように、時間差が徐々についていきました。
タイムトライアル・スペシャリストのSergei Gontchar (Vini Caldirola/Ukr)が前に出たときだけスピードが上がってるようです。抜きん出て大がらなNicklas Axelsson (Navigare/Swe)が最後尾で食らいついています。どの選手も苛酷なコースで消耗しきっているのでしょう。
棚ボタのリーダージャージを着ることを拒んだSavoldelliが、Apricaに降りる峠に設けられたGPM(山岳ポイント)直前に、総合1位は望み得ないまでも2位をGilberto Simoni (Ballan/Ita)に渡さないことを決意して、疲れた体に鞭を入れて単独でスピードを上げました。
そしてSavoldelliは、僅か1秒差で総合2位を得ることができました。彼の選手としての分類は、山岳もある程度いける、タイムトライアルもいける、オールランダーとしたところでしょうか。今は、若さからくる突破力でやっているようです。
今年のVuelta a Espanaを制したJan Ullrich (Deutsche Telekom/Ger)に比べれば安定感には乏しいような気がしますが、そこがいいですねえ。イタリア人らしくて。
イタリア人らしくて・・・Claudio Chiappucciのように、Marco Pantaniのように。
Giroに高い確率で勝ってしまうであろう事を誰もが疑わないのですが、事故のせいで数回しか出ていなくて、今年はメディカルチェックでマリアローザを失ってしまったPantani・・・見方を変えれば安定感に欠けるといえるのではないでしょうか。
来年はどこまでやるのか、Savoldelliは楽しみです。それなりに安定感も身につけてくれるでしょう。
山岳でのSergei Gontcharの強さ。昨年も結構いけてたように感じてましたが、映像で見せられるとそれを改めて認識させてくれました。数年内に3大ステージレースのいずれかで、リーダージャージを最後まで着るのでは?という気持を抱かせてくれます。
Nicklas Axelssonの必死の形相。凄いですねえ、鬼のようです。ブラウン管のこちら側でも力が入って、感情移入しちゃいそうです。
私、Mortiroloでファインダーに彼の顔が入ってきた途端、思わず4枚程も連写してしまいました。
- 4 Oct. 1999
- ■17atappaまで(SkySport3)
Vuelta a EspanaがTVE(SKYPerfecTV-332ch)でリアルタイムに流されて、Giro d'Italiaの録画がSkySport3(SKYPerfecTV-304ch)でと、忙しい1ヶ月でした。
Vuelta a Espanaが終わって、やっと一息。放送時間が重なっていたりで、両方を見るのは面倒くさくもありました。Giro d'Italiaの録画は何度か再放送していますから、ビデオ録りして後で見るという事をしていました。
Vuelta a Espanaの放送が終わり、ベストタイミングでGiro d'Italiaの録画放送は個人タイムトライアルの第18ステージから、3連続山岳ステージの第19〜21ステージに入ります。
相変わらず不定期放送のようで、夜中に録画したやつを翌日見るという事が続きそうですが、Giro d'Italiaの方に集中できるからマアいいかなと。
第17ステージでMario CipolliniがSaeco列車の働きもあり、今年のGiro d'Italiaでの4勝目をあげました。
彼の5勝目はありません.....第18ステージの個人タイムトライアルにスタートしなかったから、いつもどうりの行動です。
Saecoチームは、いいチームですね。各個人の力が十二分に有ることは勿論のこと、それを結集してCipolliniのゴールのために効率よく使う。Cipolliniもそれに応える抜群のスプリント力を持っています。
60km/hオーバーからの更なる加速、ライバル達から明らかに抜きん出た加速、それを第17ステージで見せてくれました。RAI(イタリア国営放送)の上空からの画像では、その列車の様子が良く分かりました。3人から4人が彼の前に出て集団の頭に現れると、もう勝って当たり前のお膳立てです。なぜか、どこのチームも対抗して、列車を仕立てるという事をしていませんでした。
Cipollini、たまには列車の後に付いたライバルに出し抜かれてしまったりもしますけどね。
山岳ステージでは、Mercatone列車?が活躍します。Marco Pantaniにゴール前3kmのアタックをさせるための列車です。ライバルのアタックを潰すために、アシストが2,3人集団の前で睨みをきかせています。スピードを上げて、集団を小さくするのも彼らの重要な役目のようです。
Mercatone Unoチームは、山岳に強い選手がPantaniの為に集められています。平地での総合力も決して、スプリンターのためのチームに劣っていないようです。しかし、彼らの主戦場は山岳です。
第15ステージの山頂ゴールOropaの登りが始まり、スピードが上がり始める頃のゴール前8kmあたりで、チェーンを外してしまったPantaniが集団の後に取り残されてしまいました。
それに気づいたのか、無線連絡を受けたのか、待っていたアシスト達は彼を主要集団に戻し、後ろの方に去っていきました。彼はアシストたちの働きに応え、先行していたライバル達を次々に置き去り単独ゴールをしてしまいました。
その日、ゴール前の人、人、人の斜面で見ていた私は、1分くらいの差をつけて彼が上がって来ると思っていましたから、2位のJalabert達と30秒ぐらいしか差がついてなかったのに意外な思いでしたが、その理由が4ヶ月後にやっと分かりました。
それにしても.......強いですねえ、凄いですねえ。Marco Pantani
このページに書きましたが、第14ステージのColle Fauniera(2511m)への道は、狭く荒れています。
RAIからの画像でそれが良く分かります。狭い道なので選手にはサポートカーが邪魔になるのでしょう、スペアホイールを積んだオートバイが選手の後ろに付いていました。峠の様子が第14ステージの放送では、カットされていまして、どんな様子だったんだろうかと思っていました。30分間の英語ダイジェスト版でも、その画像は出てきませんでした。
第15ステージの放送で、峠を越える様子が分かりました。予想どうりというか、観客は他の峠に比べて格段に少なそうでした。峠を越えると観客は、さらに少なくなっていました。....皆無では?....と思ってしまうくらいでした。
Colle Faunieraでは切れているとしか表現出来ないような、ダウンヒルのSavoldelliが見ものでした。コーナーで、アスファルトの端ギリギリの線をハイスピードで走るのですから、ちょっと目を離すことはできません。総合2位はこの下りだけでも納得できます。
- 10 Sep. 1999
- ■9atappa(SkySport3)
タイムトライアルで選手の後に付くサポートカー。一人一人に付くわけですから、100台以上となってしまいます。
エースや、総合上位にいる有力選手にはチームの車が付きます。
数に限りがあるからでしょう、アシスト達にはどっかから借りて来た車に親類縁者と思わしき人達が乗り合わせて付いて行きます。
時にはこんな派手な車(photo 34kB)がスタート地点に現れます。第18ステージのTrevisoで順番待ちをしていた、車に負けず劣らず派手なおばさんは、緑色に塗られた携帯電話を持って観客に愛敬振りまきながら、選手に付いて車をスタートさせました。
第9ステージ、Anconaは落ち着いた港町です。
ここをスタートして、ゴールする個人タイムトライアルは、絶壁の海岸線を走ります。
当日の夕方と翌日にコースを車で一部分走りましたが、大変美しい景色でした。そして、アップダウンとブラインドコーナーが適度にあり、十分にテクニカルなコースでした。CSの録画放送でもその様子が伺われました。
スタートすると木立に覆われた石畳の道が100〜200m続き、すぐに直角コーナーとなります。後はたぶん直角コーナーを幾つかこなしながら街を抜けて郊外へ向かったことでしょう。
その石畳の道は両側をアスファルトの道が通っていることから、普段は市民の散歩道として使われているようです。私が見ていたあたりは、両側にCM入りの柵が無くのんびりとした雰囲気が、トップ20が登場するまで続いていました。
時々、観客というより散歩してるという言い方がぴったりと来る人々が、ゆっくりとコースを横切っていました。選手が来てるのにあまり気に掛けずに横切る様子に、「あっ、やばい」と思ったことも再三ありました。
その場でたまたま出会って、選手が来るまでの合間に話を聞かせていただいていたカメラマンの三宅さんも、思わず「アテンショーン」と声を出していました。三宅さんはかなりヤバイ状況を見ちゃったとも言っていました。
ここは、あまりロードレースに縁が無い地域なのかなと思ってしまう程でしたが、Cantina Tolloチームはこのあたり(Marche州)が本拠地なんですよねえ。それなりにロードレースが盛んなことでしょう。それなのに危なげな横切り方、よー判りません。
- 9 Sep. 1999
- ■8atappa(SkySport3)
Gran sasso d'Italia(2,130m)にゴールする第8ステージ。
Mariano Piccoli (Lampre/Ita)とPietro Caucchioli(Amica Chips/Ita)が200kmにも渡る逃げを敢行しましたが、予定通り?ゴール迄10kmを切ったあたりでMercatone Unoのアシスト達が引っ張る集団に吸収されちゃいました。
Piccoliって、Giro d'Italiaのみではなく他のステージレースでも、山岳のアプローチ、平地のゴール前などいろんな場面でよく動き回って目立っています。レースの序盤から中盤あるいは終盤までの見せ場を作ってくれています。
Pantaniのアタックは、「凄い」の一語につきます。
Piccoli達を捉えた後、彼の1回目のアタックにIvan Gotti(Polti/Ita)のみがかろうじて応えることが出来ました。しかしGottiの足は売り切れ寸前で、Pantaniの先頭交替の合図に即座には応えられない様子でした。
Pantaniのアタックは、画面で見ているとそれほど速くはなさそうでです。しかし、現地で自分の目で見ると、他の選手から抜きん出たスピードであることを実感できます。
単独になってから彼の回りには、興奮して一緒に駆け登る少年達がいました。・・・少年のみでなく、いい大人達も駆け登っていたはずです。
Italia人の情熱、率直さは他の国の人間には、とうてい真似することが出来ない、彼の国独特のもののような気がします。
Gran sasso d'Italiaで役目を果たしたMercatone Unoのアシストが登ってくる度に「グラッチェ、グラッチェ」と私の回りの観客達は、ごく自然に声をかけていました。
- 3 Sep. 1999
- ■1〜5atappa(SkySport3)
商売うまいですねえSKY PerfecTVは、SkySport3で流れてくるGiro d'Italiaの録画は10月まで続くそうです。
Tour de Franceと同じように、1ヶ月で終ると予測していたのに当てが外れてしまいました。毎日遅くまで起きていなくていいから、サラリーマンとしては楽ですけどね。
平地ステージはSaecoのチームプレイが、さすがに見事でした。しかし肝心のCipolliniが大落車で派手に吹き飛ぶなどで、平地ゴールの第1〜第3ステージで1度しか勝っていません。・・・って、1/3の確率だから上等ですかねえ。
Cipolliniは、第18ステージの個人タイムトライアルをキャンセルする迄に、きちっと4勝してるんですよね。・・・さすがです。
彼のタイムトライアルは、第9ステージのAnconaで見ました。なんか遅そうで、あまりやる気のなさそうなふうに見えました。
Di Luca(Cantina Tollo/Ita)が、終盤よく動いて目立った第5ステージ、彼はまだ23才です。
逃げのグループに単独で追い付き、ゴールまでの20kmの登りを他人の思惑など気にするふうもなく、積極的に引きまくり、足をためたGonzalez(Kelme/Col)のアタックにことごとく反応しながらも、Gonzalez最後のアタックには流石に追いきれずにステージ2位になりました。
解説していた小林氏の言ってるように、将来を期待されているエリートの片鱗を見せてくれたような走りでした。決して、甘くなくちょっと危なさを秘めた風貌もいいです。背中の曲がり方が、Romingerタイプなのも将来有望の証拠?
そして予定どうりなのでしょうか、第13ステージでGiro d'Italiaから去って行きました。
エンジェルフェイスSavoldelli(Saeco/Ita)は、JalabertとPantaniの後にゴールしてステージ6位でした。
現地で彼らを一瞬の内に見るのもいいですが、じっくりとTV画像を見るのもいいものです。どれだけの走りをしているか自分なりに見定めることで、次のステージが楽しみになります。
BicisportのLA GUIDA DEL GIRO'99には有力選手と共に、将来有望と思われる若い選手の為に、写真付の1ページが提供されています。
その中から、1973年生まれ以降の選手をピックアップしてみれば、Balducci(Navigare/Ita/1975)、Bettini(Mapei/Ita/1974)、Basso(Riso Scotti/Ita/1977)、Celestino(Polti/Ita/1973)、Di Grande(Mapei/Ita/1973)、Di Luca(Cantina Tollo/Ita/1976)、Frigo(Saeco/Ita/1973)、Figueras(Mapei/Ita/1976)、Garzelli(Mercatone Uno/Ita/1973)、Pieri(Navigare/Ita/1975)、Quaranta(Mobilvetta/Ita/1974)、Savoldelli(Saeco/Ita/1975)、Sgambelluri(Cantina Tollo/Ita/1974)、Velo(Mercatone Uno/Ita/1974)、Vainsteins(Vini Caldiola/Let/1973)
リトアニア人Vainsteins以外は、当然のごとくイタリア人ばかり。どこかで聞いた、目にした名前が有るのではないでしょうか。
完走したのは8人です。他の7人は健闘及ばずか、怪我をしたのか、或はチームの方針か、途中のステージでGiro d'Italiaを去っています。
- 11 August 1999
- ■Giro d'Italia - 決算
どれぐらいのお金で、Giro d'Italiaのキャラバンに会いに行けるのか。
21日間を一人で行動するためにレンタカー借りて、Arbergo(安い宿屋)に3泊して後はキャンプ場生活、三食ちゃんと?食べて、40万円でお釣りが来ました。
リラが円よりもっと安くなると30万円くらいでいけるかも。・・・努力すれば。
今年、レンタカーはHertzで借りていました。VISAカードからの請求書はSF1407.85(¥112,136)でした。1SFが¥80ほどのレートです。
往復航空券は¥102,000でした。ここまでで¥214,136。
トラベラーチェックを¥160,000換金していますから、総計¥374,136です。年々、金遣いが荒くなるような・・・でもガソリン代が1リットル当たりLit1,850〜Lit1,875(約¥130)とめちゃくちゃ高いのが金遣いを荒そうに見せています。
ガソリン代を試算してみます。レンタカーはOpel Astra 1.4L(MT)でした。燃費は12km位だったと思います。走行距離は5,364kmです。
447リットルのガソリンが必要だったとして、約¥58,000も車の為に使っています。自分のためには、¥102,000残ります。1日当たり¥4,857です・・・もうちょっと節約できたような・・・結構ツマシイ生活していたんですけどねえ?・・・この中から、日本に比べれば安いとはいえ高速料金も捻出していましたから・・・ツマシイ生活ですよ。
車を使わなければ、もっと安く上げれたでしょう。しかし、山岳ステージを毎日、自分の狙いどうりのポイントで見るためには、そして山岳の澄んだ空気の中で気持のいいキャンプを続ける為に車は絶対必要です。
あー、もっと豪華な生活をイタリアでしたい。・・・でもやっぱり、セコイ生活になっちゃうかなあ。長年の習慣変えるの難しいでしょうから。
久しぶりのアップが、セコイ文章で申し訳有りません。
スカイパーフェクTVのSkySport3で、Giro d'Italiaの録画を流すようです。
見てて感じた事、思い出した事などをこのページにアップするつもりです。
- 5 July 1999
- ■生活
毎日のようにGiro d'Italiaを追いかけていると、精神的な満足感を十分得ることができます。しかし、少しづつ体は疲れて来ます。山岳ステージでは往復10kmあるいは20km近くを自分の足に頼っていました。
山岳ステージが続くとその日の寝ぐらキャンプ場に着くのは、陽が落ちる寸前ということも有ります。そうはならないように、なるべく近い所へ行くようにしていますが、なかなかそううまくもいかず・・・あーぁ今日の晩飯どうしよう。
毎晩、毎朝スパゲッティーじゃあねえ。簡単でいいですけどね。夜はVino(ワイン)とProsciutto(ハム)、Formaggio(チーズ)と野菜をメインの横に付けてます。
朝は、スパゲッティーかパンと野菜、野菜にはオリーブオイルとワインビネガーをたっぷりとかけています。・・・肉は1回しか加工してないんです。追っかけてる時は出来ないですから、合間にささやかに加工しました。
なんか寂しいので、個人タイムトライアルの日にAncona近く、Ristranteで肉を食べようとキャンプ場から坂の上の町へ出かけました。
・・・魚の三皿定食に惑わされ、肉から魚にチェンジ。メインがえらく塩辛くて、もういいや・・・
他の皿とVinoは旨かったんですけどね。経済的な事情も有り、その後は一度しかRistranteへは行きませんでした。
Pizzeria(ピザ屋)には、もう少し多く足を運びました。
ピザを食べるときは、要注意です。前菜にボリューム有るやつを頼むと、ピザにたどり着く前に満腹に限りなく近付きます。
イタリアは、ガソリン代が高いです。1リットル当たり1,800から1,900リラですから日本円で130円くらいです。
私より車の方が、良いもの食べてたようなものです。
暗闇になるのは10時くらい、夏時間のおかげで遅くまで活動できます。
朝はいつ明けるのか分かりません。山岳ステージの時は、8時から9時に出かけるようにしていました。目的地まで100km位までなら、その時間で余裕を持って間に合っています。
昼間は日差しが強いのですが、日陰に行くと涼しい風が吹いています。気持の良いくらい乾燥しています。その日のポイントに着けば、まずビールとサンドイッチで腹をなだめて、時間が有れば日陰に止めた車で一眠りします。
第14ステージColle Faunierの下りは、良い気持で昼寝できました。半分寝惚けていたら、唐突に一人降りて来ました。Savoldelliでした。
Giro d'Italia総合2位をひっさげて、Tour de Franceに出場した彼は、どのような活躍を見せてくれるのでしょうか。
- 29 June 1999
- ■Rifornimento(補給)
選手達の表情を、ゆっくりと見ることが出来る山岳。スリリングな平地のスプリント。リラックスと緊張が混合されたスタート前。どれもおもしろいシーンです。どれが一番好きかと問われれば「山岳が好きです。」
そして、結構いけるのがRifornimento(補給)です。
サドル上で仕事をする選手達、貴重なエネルギーを補う為のRifornimentoは、彼らにとって重要な地点でしょう。
かつて、皆がサコッシュから取り出した食物にかぶりついている、まさにその瞬間にアタックを掛けた選手をNHK-BSで見ました。それは選手間での暗黙のルールに違反しているのでしょう。かぶりついていたやつを怒ったように投げ捨てて、アタックに応酬していました。Tour de Franceの1コマでした。
1991年、友人が撮ったGiro d'Italiaのビデオテープには、Chappucciが転がって行くコカコーラの缶を弾き飛ばしている画像が写っていました。・・・これどっかに書いたような。
そして集団が過ぎ去ると、そこらあたりにボツボツとたむろしていた、いや見物していた観客達が左右に走り回り投げ捨てられたサコッシュ、ボトルを拾い集めます。オバサンも、オジサンも、少年も、青年も、お嬢さんも、みんなそれらを拾うのが目的でその場所に来るようです。・・・と、私はにらんでいます。
車でコース沿いに走って行くと、自転車に乗った少年達が投げ捨てられたものを捜すように、道路脇の草むらに視線を這わしています。
ついつい、私もそこらあたりに視線を・・・はずかしいなんて、その場に行ったら思わないですね。彼らのように無邪気に、拾います。
ボトルを買わなくなって何年経つでしょうか、Rifornimentoで拾ったボトルで間に合っています。
語学に堪能ならば、そこに行ってマッサージャーと話をするのもおもしろいでしょう。彼らが、リラックス出来る時間は補給所に到着してから補給を渡すまでのようです。相手をしてもらえます。・・・今年のTour de Franceはピリピリしていて、相手してもらえないかも。
私は言葉が駄目ですが、片言と指さしで「ボトルの中は何?」と聞くと、触らせてくれたり、中身を見せてくれたりします。
今年の補給所には、Cantina Tolloマッサージャーの中野さんが居まして、いろいろと話が聞けました。
携帯電話買ったけど、住民登録する暇が無くて使えないとか、今年になってから10日しか休み無くて、スポンサーが用意してくれたcivitanova marcheというリゾートのコッテージで過ごす暇が無いとか、話してくれました。
Bo Hamburgereの背中が具合悪くて、毎日遅くまで治療しているそうです。「誰が、治療しているのですか。」と聞くと、「私です。」彼は、針灸マッサージ師です。そして整体の心得も有り、系統的にその分野の勉強をしているようです。
選手達にも評判がいいそうです。・・・これは第20ステージのゴール、Madonna di Campiglioで会ったサイクルスポーツの小林氏の話から。
古株のマッサージャーは選手上がりが多く、ほとんどが系統的な勉強をしていなくて、この分野は遅れているようです。選手の背骨が曲がっていても、矯正する技術を持たず、そのままにされているようです。
背骨が曲がっている選手は、意外と多いそうです。
カイロプラクティス、整体、針灸の技術を持ってヨーロッパに行けば、重宝されるでしょう。
- 21 June 1999
- ■Alpe di Pampeago
頂点までの平均勾配は、Passo del Mortirolo(10.8%)、Gran Sasso d'Italia(9.83%)に次ぐ3番目の9.57%で距離は8.9km・・・・これがAlpe di Pampeagoです。
横道から入り4kmを歩いて上がって足にきてしまい、降りるときに膝がガクガクッとなっちゃいました。あーぁ情けない。
偶然に会った日本人夫妻は、私の2倍くらい歩いて麓から上がって来たということです。いつまでも残りそうな思い出?を作られた事でしょう。
ここでは、メールを貰っていた森夫妻にも会えました。ツアーに参加してGiro d'Italiaの終盤ステージを見る予定ということです。インターネットでコンタクトした方と現地で会えるというのも感慨深いものです。
ここAlpe di PampeagoがGiro d'Italia終盤の山岳ステージ初日でもある第19ステージのゴールです。
当然のようにMarco Pantaniがアタックしました。私達が居たゴールまで4kmの地点、そこで何度目かのアタック(photo 28kB)を見る事が出来ました。
レースを見ていて、山岳スペシャリストのアタックが一番好きです。偶然というものに支配されることが少なく、才能と力のみがそのアタックの素地となると私は思っています。それが成功すれば素晴らしく美しいシーンとなります。失敗しても「次ぎは、いけるぞ・・・・いかしてやりたい。」という気持になります。
彼らがやって来ると観客達は道路に身を乗り出し、彼らのコースを塞いでしまいそうな勢いで声援を送ります。
規制に動員されたCarabiniere(憲兵)も身を山岳スペシャリスト達の方に傾け、凝視しています。
Pantaniの第一集団が過ぎ去ると、気の早い連中はその場所から大抵は車を置いてある方向に移動し始めます。そして選手が来る度に声援でアシスト。もちろん物理的なアシスト・・・水を渡したり、水を掛けたり、手で押してあげたりします。
押すことはルール違反ですが、総合成績が上位にない者には「御目こぼし。」のようです。
第21ステージPasso del Mortiroloでは、1994年に総合1位を得たBerzinが押し屋さんのサービスを受けていました。そしてなんと、スペイン期待の山岳スペシャリストJimenez(photo 39kB)もサービス対象となっていました。ん・・・・・これは・・・・・Jimenezはかなり調子が悪かったのでしょうか?
Alpe di PampeagoではPasso del Mortirolo程の派手な押し屋さんの活躍はなかったものの、結構お世話になる選手が居ました。
Tour de Franceがお騒がせになっているようですね。
Pantaniは「俺、出たくないよ。」とGiro d'Italiaの頃から言っていたようです。
Jalabertもそう言っているようです。
Virenqueなんて、Tour de Franceのソシエティから「あんた、出場させないよ。」・・・かわいそう。彼はクレームを付けているようです。
他の何人かもVirenqueと同様に「あんた、出れないよ。」
Vini Caldirola(Ita)チームのGontcharはTour de Swissの血液検査で、ヘマトクリット値が50を越え「黒」。「あんたも、だめだよ。」と、ソシエティからのおたっし。
で、Vini Caldirolaの代わりにCantina Tollo(Ita)チームが出るらしいです。vino(ワイン)の銘柄変更をTourはやっちゃいました。
Cantina Tolloのマッサージャー中野氏は、「ツールに出るかも知れないけど、ほんと言うと行きたくないですよ。疲れた。休みたいですよ。」と言っていました。でも多分、連れて行かれるでしょうね。彼は選手間で評判いいらしいですから。
- 18 June 1999
- ■Colle Fauniera
まるで林道です。Cima Coppi(Giro d'Italia最大標高地点)のPasso Gaviaの様なダートはないものの、車1台がやっとの道がColle Fauniera(2511m)へとウネウネと続いています。
そしてこの峠の後、ロードレースエリート達はMadonna del Colletto(1305m)に登ります。このColle FaunieraからゴールのBorgo San Dalmazzoまでは61kmあります。
Pantaniの動きは無いだろうと思いながらも、第14ステージの前日、Giro d'Italiaの休息日にコースに沿って車で上がってみました。
平均勾配は8.55%「超」は付かないまでも「特A級」の峠です。
道の両側から木々が消え始める頃から、道幅はますます狭くなり両脇に駐車スペースも無くなります。霧と小雨と残雪が迎えてくれます。雹も落ちて来ます。
「明日こんなところ来たら、ただじゃあ済まない。来るのやめよう。」と未練も抱かずに決めちゃいました。
寒寒とした峠は更に狭くなっています、GPMゲートの幅もGiro d'Italia最小だったことでしょう。
さすがに、前日からの乗り込み組も少なく、テント数張りと数台のキャンピングカー。廃屋か作業小屋の横に居場所を見つけたらいうことなし。彼らは、寒風吹きすさぶ吹抜けで一晩を過ごす勇気がありそうです。
私はそんな勇気を持ち合わせていません。シャワーとトイレが無いととてもとても・・・です。日本だったら、何処でもキャンプ出来ますけどねえ。
いました。やっぱりイタリア人ですねえ。高々とイタリア国旗を掲げたサイクリスト。(photo 27kB)
このおじさんに会ったのは、峠道の中間くらいです。
上の方は寒かっただろうねえ、旗を風に取られながら降りて来たんでしょう。でもカメラを構えるとにっこり、ポーズ。・・・イタリア人です。
翌日の第14ステージは、BiciSportのLa Guida del Giro99に注目株として載っていたSavoldelli(1975年生まれ)が、ステージ優勝しました。彼は総合成績2位でGiro d'Italiaを終えました。これからの注目株となると思います。SAECOチームなのでTour de Franceにも出るかもしれません。
彼は、木々の緑が美しい下りで待っていた私の予想よりも早く視界に現れ、カメラのピントを合わせる暇も与えてくれずに、あっという間に単独で下って行きました。
次々と下って来る彼らと、サポートカーの風を道の脇で受けながら久しぶりに興奮しちゃいました。ゾクゾクッとしました。
- 14 June 1999
- ■Gran Sasso d'Italia
どうしてもPantaniの名前がでてしまう、今年のGiro d'Italiaでした。
予想どうり、第8ステージ(5月22日)のGran sasso d'Italiaで総合1位に上がりました。
私は、この日初めて今年のGiro d'Italiaを見ました。
あのスキンヘッドと、バーの下を持ってアタックを掛ける独特のフォームで、Pantaniが誰かと登って来るのは分かりました。その誰かが分からなくて、翌日のLa Gazzetta dello Sportのタイム差でGottiをJimenezと思い込んでいました。
かなり興奮していたのでしょう。ジャージのデザインも記憶していなかったのですから。
雪壁の中、霧とシトシト降る小雨をついて、彼らは前衛にカメラマンを積んだバイクを配しやって来ました。そして私のザックの右側に当たりながら、1台のバイクが道路脇に止まりました。
彼ら2人を中心にした一団が駆け抜けて行った後、カメラを持って近くにいたオバさんが「フォトグラフィーア・・・・(が何やらかんとか)」と喚いていました。
かわいそうに、カメラマンか一団のバイクに邪魔されて、せっかくのカメラを使う機会が無かったようです。
邪魔になるようなところに居なかったもんね、私のせいじゃあないよね。
そこかしこに雪が残るGran sasso d'Italiaは、予想どうりロープウエイで上がることが出来ました。
Lit10,000(約700円)の1枚券で往復できました。・・・・で終ればメデタシメデタシなのですが、そうは・・・・。
第4集団くらいが眼の前を通り過ぎた後、周りのイタリア人達のようにロープウェイ乗り場が有るゴールへと向かいました。
全ての選手が通り過ぎた後、乗り場に行くと既に長蛇の列でした。
まだ止まぬ小雨の中で列に加わり、待つこと暫し?・・・・2時間!! 待って、やっと乗れました。
並んで待つイタリア人達の辛抱強さを初めて見る人は、驚くのではないでしょうか。焦る様子もなく、けっして小声とはいえない声で周りとぺちゃくちゃ、時おり列の横を通る人を皆でからかったりしていました。
からかい方も悪気の有る風でもなく、相手もそれに答えていました。言葉が分かればもっと面白くその状況を解析?出来るでしょう。残念ながら今だに、ほとんど全てといっていいくらいに言葉が分かりません。
彼ら、彼女らのそんな様子を見ていると退屈はしませんでしたが、さすがに2時間は長い・・・麓に着いたときは19時を過ぎていました。
麓から一瞬の晴れ間に、ロープウェイの索道を張っている斜面が見えました。そこを下れば、1時間くらいで降りて来れそうでしたが、ルートがあっても霧と小雨で視界が悪いし、2時間待ちの方で良かったんだと、自らを納得させました。
- 12 June 1999
- ■Passo del Mortirolo
Giro d'Italiaで一番の難所と云われる平均勾配10.32%のPasso del Mortiroloに自転車で登る観客は、老若男女さまざまです。
カンパ鉄レコードにユニバーサルのブレーキセットをアッセンブリした年代物のレーサー、最新?のビアンキにジュラエース・フルセットのレーサー。どちらもオールドタイマー達が乗って来ていました。
やはり......というか、MTBの数が増えています。強力な勾配に挑むのにいいギア比を得ることが出来るから有用なのでしょうけど、ちょっと寂しい気もします。
私がそこに挑む時は、トリプルギア付けたロードレーサーもどきを使うでしょう。
3時間半もかけて、麓から13kmの車1台がやっとの道幅の峠を歩いて登り詰めると、そこは喧騒の世界でした。道路上は勿論のこと、山肌も観客で埋まっています。
彼ら、彼女らの期待を一身に浴びた彼.....Marco Pantaniを待って。
峠から4km程下で、押し屋さん達と共に待っていたのに。
いつもなら、対抗するエース達を引き離そうと行動を起こす場所で待っていたのに。
彼は来ませんでした。彼のためのチームも。
第21ステージの朝、検査でヘマトクリット(Ht)値が50を越えたために。
Giro d'Italiaから排除されるという、彼らしいセンセーショナルな結末を迎えてしまいました。
でも黒猫を踏んづけて病院送りよりは、数段いいでしょう。10数日間の休養を言い渡されたのですから。
彼がヘマトクリット(Ht)値を高めるために、EPOを使っていたかどうかは分かりません。
薬を使わなくても、数年前の切れ味が無くなったと言われながらも、彼の力は山岳において飛び抜けているようです。自分の眼で見た走る姿、TVで2度見た決定的なアタックにそれを感じました。
スペインの山岳スペシャリストJose Maria Jimenezが、彼に挑んだ第8ステージで、ゴールのGran Sasso d'Italiaから3km下、彼がJimenezに最後であろう揺さぶりを掛け始めたのを見ました。
Jimenezは23秒遅れでゴールして、総合2位に上がったものの、それ以降の山岳ステージで振るわず、総合成績をずるずると下げていきました。コンデションが悪かったのか?、Pantaniに潰されてしまったのでしょうか?
あっ!.......出来上がった写真(*41kB)とLa Gazzetta dello Sportの第8ステージ見たら、単独決戦挑んだのはIvan Gottiでした。ゴール1km手前で15秒遅れ、ゴールまでにGottiが脱落してて、Jimenezが2位となったようです。
......記憶とは曖昧なもの、とくに私のは。....(02:25 - 12 June'99)
でもなんか時間表記がおかしい。ラスト1kmが16分間。皆で寝てたの?
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