InfoCiclismo
原典:Frank Gonzalez InfoCiclismo
翻訳:Togo Mikio
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  CHIAPPUCCI 引退: ローマ, 11月3日
36歳伊の Claudio Chiappucci は今週末スペインのヴァレンシアで行われるレー スでプロ選手の経歴を終える予定。
彼は1963年2月28日ウボルド(ヴァレーゼ)で生まれ、58勝を挙げている。この中に二つのワールドカップレース(1991年ミラノ・サンレモと1993年サンセバスチャン), ピエドモント一周を2回, アペニーノ一周, サバティーニ杯, ジャパンカップ3回, 91年ヴァスコ地方一周, 92年トレンティーノ, 94年カタルーニャ一周が含まれる。
これに加えて彼はジロデイタリアで3回(1991年と1992年は2位,1993年3位) 表彰台に立っており、1991年はポイント賞、1990, 1992, 1993年には山岳賞を勝ち取っている。
彼はまたツールドフランスで1990, 1992年と2回2位になっており、1991年に3位、 そして1991, 1992年と山岳賞争いで優勝した。
また1994年アグリジェントの世界 選手権では銀メダルに輝いている。

彼の引退がイタリアではなくスペインで行われるのは本当に奇妙だ。
"私がスペインで引退するのは、先ず招かれたこと、そして私の体の奥底にスペイン人の血が僅かに流れていることを感じているからだ。私はこの冬にファン達の為に何か 大きなイベントを開きたいと思っていたが、イタリアでは誰も企画してくれなか った。" と Chiappucci は語った。
ディアブロは、多くの問題を抱え、焦点がずれて何の向上も無い自転車界と決別すると語っている。
"選手達が解決の為の中心に介在すべきなのに今では彼等にその力が無く、唯興味本位の方針だけを押し付ける人々に実権が握られている。
私はUCIを揶揄しているのでは無い、彼等は常に選手の側にあった。しかし各国の自転車連盟は違う。" と彼は付け加えた。
"10年前我々選手達はもっと力があった。私に何の恩恵も無い重要事項であれ、 常に選手達を守ってきた。" と Chiappucci は語った。

Chiappucci は競い合った偉大なチャンピオン達、仏の Bernard Hinault, スペ インの Miguel Indurain, 伊の Gianni Bugno を引き合いに出した。
"Hinault の時代に私はプロに転向した。そしてメジャーステージレースで Indurain と戦う栄誉に浴し、イタリアで Bugno と共に競い合い成長した。"
現代の選手達について: "今の選手達は非常に頭が良いが、個性や人間味が欠けているね。
彼等はまるで操り人形の様な状況に満足しているようだ。自転車レースはもっと革新的で、向上しなければ世間の認知度も上がらないだろう。もしこれらの要素が再び 蘇れば、このスポーツが抱える問題を克服出来ると思う。"

ディアブロは、彼の経歴中1986年のスイス一周が最悪のレースだったっと語って いる。
"そこで妻を失うところだった。"
"最も素晴らしかったのは1990年のツールドフランスで、リーダーのマイヨジョーヌを着た時に今迄に感じた事の無いような強い興奮を覚えた。あれが人生最高の瞬間だった。あのツールで私は有名になり、それから全てが変わった。"
このイタリア人はチームの運営に関らない事を明らかにしている: "かつての私の様な走りを今の選手達が出来るようにしなければ彼等に申し訳ない" と語った。


  Criterium Comunidad Valenciana, ヴァレンシア, スペイン 11月7日
日曜日、伊の Claudio Chiapucci の15年間の選手生活の最後飾る引退レース 第10回 Criterium Internacional de la Comunidad Valenciana が行われ、ONCE の Abraham Olano が優勝した。
このレースには、新世界チャンピオン Oscar Freire,ラ・ヴエルタの2位 Igor Gonzalez de Galdeano, Abraham Olano, Angel Casero,Jose Maria Jimenez, Roberto Heras 等、多くの著名な選手が参加した。
このクリテリウムは、3つの種目で構成され、最初は政治家や有名人を含めたチームイベントとし、道路を走る一般の自転車走行者に安全を呼びかけた。

ポイントレースは Oscar Freire がゴールスプリントを制してダブルポイントを 獲得して優勝し、Abraham Olano は2位でゴールした。
エリミネーションは Claudio Chiapucci と Angel Luis Casero が一時的に勝利を争った為に更にエキサイトし、最終的にこのスペイン選手が優勝した。
全ての競技を終え、3種目のポイントの合計で総合優勝は Abraham Olano の手に落ちた。2位は Casero。
Chiapucciは表彰台に上がり、ファン達の温かい声援を受けプロの花道を飾った。


  CLAUDIO CHIAPPUCCI インタビュー
日曜日スペインのヴァレンシアで行われたクリテリウムの後、プロ自転車選手を 引退する 'Il Diablo' は次の様に述べた。
15年間のキャリアの中で遣り残した事はありますか?
間違いなくメジャーツールの優勝だ。ツールで3回表彰台に立ったし、ジロでもね。
でも一番高い真中に立つ事は出来なかった。それでも私が残した成績には満 足しているよ。もし Miguel Indurain が前を走っていてくれたならば、私もメ ジャーステージレースで優勝する事も出来ただろう。

Indurain についての感想は?
私の世代で、ステージレースとなれば彼の存在を抜きに語る事は出来ない。彼と その他の選手達とは決定的な違いがあった。山岳で彼を打ち負かす事が出来ると 思った時期もあったが、結局出来なかった。
Miguel は他のどのクライマーとも対等に走れたし、タイムトライアルでは無敵だった。加えて彼は精神も強靭だった。

現在の Ullrich は Indurain と比べられますか?
Ullrich が Miguel の様になれるとは決して思わないね。彼は肉体的に優れてお り、偉大なチャンピオンだが、Indurain のようなカリスマ性や競技者としての 能力が足りない。
それでは貴方と Pantani は?
それほどでは無いが。彼と比べられるのはあまり心地よく無い。皆同じだという が、私は全ての点において違うと思っている。
私は観客が全く予想もしないような攻撃をしたが、彼はステージを取りに行ける最善の場所まで待っている。
少しばかり冷めた走りをして、それでも勝ちたいと思うかい?
その結果はわからないが後悔はしてないよ。私は自分のライディングスタイルで 名誉やファンの敬意を得たんだ。

自転車レースに関わっていて最高の思い出は?
1990年と1992年のツール。1992年のツールは、私も含めて誰も Indurain の影さ えも踏むことが出来なかった。
1990年ベルナールのステージで Pensec と Maasenと共に逃げて、集団に10分以上の差をつけて優勝出来る可能性があった。しかし残り2つ目の個人タイムトライアルで私のリーダージャージを Lemond が取り上げた。結局優勝できなかったが、このツールで私に大きな転機が訪れた。
私はドメスティークからチームリーダーになったんだ。

現在何をやっているんですか?
これからもコメンテーターや内外部からチームに接して、自転車に関わっていき たいと思っている。

Thanks Frank Gonzalez
東郷幹男@東京中野
QFH01400@niftyserve.ne.jp
mikitogo@ns.adgnet.or.jp
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